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<羯南と古島一雄>(9) 私立大学評判記(その4)

 古島一雄が書いた「私立大学評判記」の第1回目は、明治36(1903)年11月3日発行の新聞「日本」の第1面に、第4段から5段にわたって掲載されている。古島は、すでに筆者が本ブログ「<羯南と古島一雄>(6)私立大学評判記(その1)」(2008年8月)で紹介した各大学の在学生数と卒業生数を記載したあと、次のように述べている。

 「慶応義塾に福沢氏ありしは、早稲田大学に大隈伯あるが如し。二者共に一代の人豪を持って称せらる。故に適切に之を言えば、慶応義塾に福沢氏ありしにあらず、早稲田大学に大隈伯ありしにあらず。早稲田大学は大隈伯の早稲田大学にして、慶応義塾は福沢氏の慶応義塾なり。是れ此二大学の他の大学と其成立を異にする所以にして、又た其特色を発揮せし所以なり。」

 この古島の記述から明治36年当時、すでに慶応義塾大学と早稲田大学は、私立大学のなかでも別格の存在として認められていたことがわかる。しかし、創立が文久3(1863)年(ここでは古島の説に従う)と最も早い慶応にしても明治初期の洋学校が林立した時期を生き残るのに汲々とし、早稲田も創立は、明治15(1882)年であるが、明治13(1880)年からほぼ同時期に設立された他の法律大学を凌駕するに至るには相当な苦難があった。この二つの大学が評価されたのは、単に“成立の特色”を発揮しただけではないだろう。いずれその要因をまとめてみたい。
 さらに古島は、以下のように続ける。

 「其他の法律大学は、皆な時代の要求に応じて成りしもの、時に先後の順あり、規模に大小の差ありと雖も、各々其適所に向って適材を出だし、以て今日の盛を致せしもの、私かに其創立の当時を見れば又た各々其素因を異にせるものなくんばあらず。」

 法政大学(設立時名称:東京法学社。以下( )内は設立時名称)、明治大学(明治法律学校)、専修大学(専修学校)、中央大学(英吉利法律学校)、日本大学(日本法律学校)等、これら私立の法律大学は、そもそも当時の学校名が示すように法律を教える学校として発足したのであった。しかし、当時は、それほど法律に需要があったのだろうか。その私立法律大学の存在意義については、今後、古島の文章から明らかになるだろう。 

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2008-11-27 18:02 | その他 | Comments(0)
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