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弘前・陸羯南会の発足を祝す

 14日、陸羯南の誕生日に、その生地弘前で陸羯南会が発足した。

 以前、このブログでも紹介させて頂いたように大正八年九月、陸羯南の十三回忌に再版された著書<原政及国際論>の前書きにも陸羯南会が出てくる。
 青森出身の新聞日本で活躍した小山内大六、没後出版された「羯南文集」の編集をした梶井盛、愛媛出身の子規門下の歌人であり新聞日本でも短歌欄を担当した森田義郎らがこの会の発会を主唱していた、との記述がある。

  弘前の稲葉克夫先生の御著書<陸羯南の津軽>のあとがきには、弘前でのこれまでの陸羯南研究の動きが書かれている。

  このあとがきによれば、これまでも

昭和49年  陸羯南を語る会
平成10年  「陸羯南賞」創設準備委員会

の動きがあったことがわかり、そして昨年の陸羯南生誕百五十年没後百年記念実行委員会につながっていった。

  戦後の陸羯南研究の歴史の中では丸山真男の論文が嚆矢としてあげられるが、弘前でも鳴海康仲先生の陸羯南顕彰の活動は改めてその大きさを強く感じる。
 その編纂された<羯南陸実先生>は小冊子ながら年譜、主要論文、書簡、関係者の追憶を網羅しており、新刊で陸羯南の著書が入手し難い現在、かってアメリカの研究者バーバラ・J・ティターズも懇望したように、またその復刊が期待される。

 これらの活動に参加された相川文蔵氏には<陸羯南おぼえがき>(昭和40年)、<郷土の先人を語る  陸羯南>(昭和42年)の著作がある。
また川村欽吾氏が東奥日報、東奥義塾紀要などに書かれた<陸羯南をめぐる人々>のシリーズは、伊藤重、赤石定蔵、珍田捨己、北里柴三郎、加藤拓川、賀古鶴所などの関係者を網羅しており、特に陸羯南晩年の片腕として活躍した赤石本人にも取材した<赤石定蔵と陸羯南>は、陸羯南の経営者としての苦闘を語る部分も含み非常に貴重である。川村氏の論文には、全集に所収されていない資料を参照されたことを示唆する部分もありその研究資料の分析も待たれる。

  戦前に戻れば、東奥日報の文化部長も務めた文人・竹南長谷川虎次郎が、昭和初期に「羯南文録」の出版や、三十三回忌のおりなどにふれて書いた一連の<陸羯南翁追憶>もその時代を伝えて意義深い。

  陸家からは、数多くのオリジナル資料が、弘前の郷土文学館に寄贈されており、その一部は昨年の展覧会で陳列され、今後とも数多くの内外の研究者がその詳細な内容の公開を期待している。

  世界的な経済混乱が続く国際情勢の中で、改めて経済体制のありかたを含め、民族、国家の問題が全面に出てくる時運となってきている。
  この時期に、明治国家の草創期、同様のテーマと格闘した陸羯南の会が発足したことは大きな意味をもっている。広く国内外との交流を踏まえ、現代的な意義をおさえながら、大きな発展を遂げられんことを願ってやまない。

  陸羯南が、日露戦争の前年、明治36年欧米視察の出発にあたり、杉浦重剛が贈った漢詩を紹介させて頂く。

     
           入海不求徐福薬

           乗槎敢履仲尼言

           籍君三眼能看取

           建国美風何処存


                                               たかぎ

 


  



  
by kuga-katsunan | 2008-10-18 07:27 | トピックス
<< 陸羯南とスポーツ報道 弘前   陸羯南会  発足 >>




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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