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《黄泉還り対談》 陸羯南---正岡子規について語る

問   先生は子規の俳句を新聞に取り上げたのはどうしてですか。
陸   「正岡君が、俳句について、私に話した時の意気込みは凄いものがあった。
自分の命があまり長くない、望みを途中で果たせず死んで行った先人は数多く居た。自分もこの仕事、つまり俳句の新しい展開の基礎作りをしておかないと十七文字の文学が埋もれてしまう・・・という意味の事を熱っぽく私に話すのです。
当時の新聞は、短歌の欄はありましたが俳句を載せた新聞はありませんでした。
正岡君の俳句の記事を新聞に載せるかどうかは、社内の人間がどの様に見るかが大事で、私がどうのこうのした問題ではないのです。
紙上に俳句を載せても、読者の反応が悪く社内でも駄目だとなれば、当然そのような記事は書かせて貰えません。
正岡君の場合は、私の縁者と言うことで、極端に悪く言う人は居ないとは思いますが、駄目だとなれば社内での扱いは大体分かりますよ。
それが正岡君の場合は、古島君が大変誉めてましてね、私も安心したのを覚えております」
問   陸さんは俳句はやらないんですか。
陸   「短歌はやるんですが俳句はやったことがありません。最初の頃は句会があって声を掛けてくれてもいたんですが、私が入ることで雰囲気が変わってしまうような気がして、句会には出たことはありません」
問   子規が神戸入院の後東京に帰ってきて、翌年の正月に子規の家で句会があった時の事を何か・・・。
陸   「その時のことはハッキリ覚えています。明治二十九年一月三日の事ですが朝一番で正岡君が私を迎えに来まして、どうしても会わせたい人が居ると言うんです。新年の挨拶かなと思って伺いましたが、そこには前の年、従軍記者として清国に行ったとき出あった森鷗外さんと、この正月休みを利用して、暮に東京に戻ってお見合いをした夏目漱石さんが居ました。
鷗外さんと漱石さんはこの時はじめてあったと言ってました。明治の文豪三人があの小さい家で会っていたんですから・・・、正岡君の人脈って凄いですね」
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by kuga-katsunan | 2008-08-19 22:44 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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