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<羯南と古島一雄>(5) 明治時代中期の時代の“空気”

 今回は、新聞「日本」が発刊された明治20~30年代の時代背景としての“空気”を探ってみよう。

 既述のように明治22(1889)年2月に、森有礼文相の暗殺事件があった。さらに同年10月には、不平等条約改正問題で外務大臣大隈重信への爆弾テロが勃発、彼は一命を取り留めたものの片足を失った。このように、依然として当時の政治問題には常にテロと暴力がつきまとっていた。
 ちなみに、この爆弾テロの犯人は、玄洋社の来島恒喜であった。当時、新聞「日本」は、条約改正批判の急先鋒であり、頭山満や三浦梧楼らが「日本」へ押しかけていたが、古島一雄は、この事件について、彼らとは別関係であったと述べている。  

 明治政府に対する「テロと暴力」の系譜をたどると、不平士族による反政府活動にまでさかのぼる。明治7(1874)年から10(1877)年にかけて不平士族による反政府活動が活発化した。通説では、一方に「民撰議院設立建白書」にはじまる自由民権運動による言論活動があり、他方で、佐賀の乱、岩倉具視襲撃事件等の反乱・テロによる武力行使があったとされる。しかし、それらは単純に分けられるものではなく、西郷隆盛が「右手に筆を取り左に剣を御提(おさげ)」と語ったように、武力も言論を立てていたし、民権運動でも武力闘争の要素を含んでいた。

 そして、明治10年に最大の士族反乱であった西南戦争が終了すると、その運動エネルギーは、「筆」による民権拡張の運動に向けられたとされているが、ここにも常にテロと暴力の要素が潜在していた。その後、民権運動には、富農商層が加わり、明治15(1880)年には自由党が設立され、彼らが中心を担うようになっていった。明治14(1881)年から19(1886)年にかけて、政府の弾圧に対して全国各地で自由党員がからんだ福島、秋田事件等のいわゆる激化事件と呼ばれる暴動とテロが続発した。それがやがて自由党の消滅によりおさまったが、「テロと暴力」の体質は、前述の明治22年の事件へとつながって行く。

 大隈の事件以降、暴動とテロは無くなったようにみえたが、その底流には、依然として「テロと暴力」体質は潜在していた。時代は下り、明治34(1901)年、当時の大物政治家、星亨が暗殺され、明治38(1905)年には、日露戦争後のポーツマス条約に反対する民衆3万人が、日比谷公園に結集、暴徒化し外務省や警察署等を襲撃するという日比谷焼き討ち事件がおきるのである。

 いずれにせよこうした当時の“空気”のなか、古島は、「新聞記者は、布衣の宰相、社会の木鐸だと信じて居ったし、又実際、言論の力で政界を動かすに足るという自信をもって居った」と覚悟めいた言葉を残している。新聞記者という職業は、命を賭す仕事であった。

 (参考文献)坂本多加雄『日本の近代<2>明治国家の建設』中央公論新社、鷲尾義直     『政界五十年 古島一雄回顧録』海音書房、古島一雄『一老政治家の回想』中央公論社

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2008-07-28 21:42 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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