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27歳 正岡子規編集長 奮闘記 その3

二人が、大学予備門に入学したのは、明治17年。
夏目漱石も、秋山、子規とともに、この年に大学予備門に入学している。
参考までにではあるが。大学予備門とは、後の旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)。念のために記せば、「予備門」という名称から、今日でいう代々木ゼミナールや河合塾のような予備校と間違える方もいるが、当時においては、エリート中のエリートのみが通うことをゆるされた「高級官僚」育成機関ともいえる超難関校である。

話を先のエピソードに戻そう。
大正6年。秋山真之は、海軍少将。3人のうちで一番長生きしたが、50歳で没する前年にあたる。功なり名を遂げた海軍の中将は、五十路を迎えるにあたって、明治35年に35歳であたら命を散らした正岡子規の業績について、どう思っていたのか? かつては文学を志していたこともあったとはいえ、帝国海軍の軍人として、そんな若き日の感傷は、忘却の彼方にあったのか。
あるいは、東京帝国大学英文科の講師から、朝日新聞嘱託に転じ、富国強兵政策への揶揄もまじえた小説『吾輩は猫である』(明治38年)など、社会風刺に富んだ小説・論文・講演録を残した夏目漱石(大正5年没)の健筆ぶりを、どんな思いを抱いてみていたのか。

下世話な表現をお許しいただくとして、50歳を前にした秋山真之は、

「ああ、のぼるくん(子規の本名)も金之助(漱石の本名)も、あんな俳句だの新聞だの、小説やら文学とやらに身をささげて。いったい、どんな価値があったのか」
と毅然と思ったのか。
あるいは、

「私は軍人という道を歩んだが、自分の興味のままに邁進し、あれだけの業績を残したのは、同窓の身として、立派だった。そして羨ましい」
と思ったのか。
 どうにも、興味をそそられるのである。

こんどう
by kuga-katsunan | 2008-06-16 22:01 | トピックス
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