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《黄泉還り対談》 陸羯南---正岡子規について語る

新聞記者正岡子規

問   新聞記者としての子規について。
陸   「私の日本新聞は言論新聞ですから、政治の動きを見てそれは間違っているとか、こうあるべきだと言う論評が中心の新聞です。
事件記者的な取材はあまりございません。でも校閲、整理、販売と言う裏方の仕事もあります。
最初のうちは古島一雄(一念)君に任せて仕事をしてもらっていました。
私から直接指示を出すと、家も近いし、本人も、会社のほかの人間もやりにくいだろうから・・・。
後で古島君に聞いたら、正岡君に時事俳句を作らせてみたところ,とっても機転の利いた面白いものを作ったと言って感心しておりました。彼には俳句と言う武器がありました。新聞に文章を書かせると紀行文などが凄くうまいのです。そこで、彼には文藝欄を担当させました。
それまでの日本新聞の文藝欄は短歌・和歌だったのですが、俳句でも目先が変わって面白いのではないかと、これは、古島君が積極的に薦めてくれました。
私は、彼がどう言う形であれ、社内の人間に受け入れてもらえたのが一番うれしかったんです。
    
 その頃、うちの新聞は政府攻撃の記事が多く、讒謗律違反に問われ、発行停止処分を受けることが度々で、何日も新聞を発行できなくなってしまいまして、購読者には不便をかけて居りました。そんな時でも別の新聞を届けておけば少しでも読者の不満も薄められるだろうと、文藝中心の新聞『小日本』を創刊することにしたのです。
その編集主任に正岡君を充てることにしたのですが、これを薦めたのも古島君でした。正岡君は積極的にこの仕事に取り組みました。
創刊第一号を見て、社内からは、こじんまりしているが中々いいものが出来たと高い評価を受けました。
    
 正岡君はここで自分が以前書いた小説を何作か掲載したようです。例の幸田露伴に見てもらった『月の都』もこの新聞で発表したんじゃなかったかな。
 この新聞は全面的に正岡君に任せておきました。私は、困ったことがあったら相談に来なさいと言っただけで口出ししませんでした。
 それが二ヶ月ばかりたった時に、挿絵を書いてくれる人を採用したいと言う話があって,私は、洋画家の浅井忠君に相談しなさいと言ったことがあります。
浅井君は中村不折君を紹介してくれました。中村不折君は、この後彼の俳句における写生論に重大な影響を与える事になるのです。
 何れにしろ、正岡君はここで新聞全般に就いて勉強したんじゃないかと思います。
この小日本には,本社からも何人か手伝いにやっていたのですが、明治二十七年夏日清戦争が始まり、本社の人手が少なくなり、派遣していた人を引き上げることになったのです。それでこの小日本は続けられなくなってしまいました。
 たった半年だったが、正岡君は精力的に新聞発行に突き進みました。元々丈夫な人ではないのにこの時に、だいぶ無理をしたようです」
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by kuga-katsunan | 2008-03-26 20:22 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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