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羯南・健三・湖南の合宿

 この研究会の関係でも合宿をよくしているが、内藤湖南の回想を読んでいると同じような話が出てきたので、紹介させて頂く。

 この健三は、高橋健三のことである。

青森の近代文学館黒岩館長さんが、<青森県近代文学の名品>の中で高橋について紹介している。

「陸羯南(1857-1907)についていろいろ調べていくうち、その周辺の人物たちの中で、最も興味を惹かれた一人が高橋健三(1855-98)である。羯南もそうだが、高橋健三は私利私欲と無縁、志の高い明治人の典型のように思えた。惜しむらくは高橋もまた胸を病み、42歳という若さで亡くなっている。」

 高橋健三、神鞭知常、陸羯南の三人の友情を、<桃園の誓い>に例えている人がいるがそれはまたの機会に譲るとして、この三人がいずれも肺結核で亡くなっているのも、また奇妙な符合である。

「陸羯南と高橋健三がはじめて親しく接したのは、明治18年末、内閣制度が発足して、羯南が内閣官報局編輯課長、高橋がその上司として官報局次長を勤めていたときである。思想的には羯南と同じく国粋保存主義に徹していて、官にありながらも、時の政府の極端な欧化主義政策に反対の立場を貫いた。また明治22年、新聞「日本」創刊時には羯南に協力、援助している。官報局長としては、日本で初めての輪転印刷機を導入、これは明治23年パリに出張して最新式の印刷機を発注し購入したもの。ちなみにこの時日本新聞社と朝日新聞社も同じ輪転印刷機を購入した。」

(青森近代文学館HP  青森県近代文学の名品  より)
http://www.plib.net.pref.aomori.jp/top/museum/meihin_top.html

 内藤湖南は、秋田・毛馬内村(けまないむら、現秋田県鹿角市)の生まれ。歴史学者。県立秋田師範学校卒業。明治20年上京後、明教新誌の記者、「三河新聞」「日本人」、「大阪朝日新聞」、「台湾日報」、「万朝報」等の編集・論説で活躍。
一時期、高橋健三の秘書的な仕事をしていたこともある。

 その湖南が<思ひ出話>という随筆を残している。
(大阪朝日新聞  昭和2年1月3,4,5,7日)

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2008-03-22 08:24 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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