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菊池九郎(4)~東奥日報の創刊~

 秋永芳郎著「東奥の炬火 菊池九郎伝」から東奥日報創刊のくだりを拾い読みしてみる。

 明治21年(1888年)11月22日、弘前、青森、八戸その他主要な地に「東奥日報発兌広告」のチラシがばらまかれた。そこには、12月6日に「第一号を刊行せんとす。・・・初号は無代価にて進呈・・・」とあり、末尾は

 「青森県東津軽郡青森柳町十二番戸
    東奥日報社
      発行人 菊池 九郎
      編輯人 源    晟(あきら)
      印刷人 小笠原宇八」
  となっている。

 東奥日報の体裁は「・・・タブロイド版よりひとまわり大きな紙面で、一面は大きく東奥日報と題字があり、五号活字の五段組であった。」先に出していた「『青森新聞』の経験を生かしたものと思われる」とある。

 当時の青森では、「北斗」「青森新聞」「青森日報」が、弾圧あるいは経営難で廃刊となっており、「陸奥新報」だけしかなかった。そして、「自由民権思想が鼓舞され大同団結運動が、燎原の火の如く燃え広がっていた時期」でもあり、「世間は拍手を送り大いなる期待を持って(東奥日報を)歓迎したのである。」とある。

 しかし、12月6日第一号の後、第2号は12月28日であり、その後また休刊。実質的には、明治22年から安定発行となったようだ。また、菊池は最初、株式会社組織にしようとしたが、思ったように資金が集まらないため、自分と榊原洋芽(弁護士のち代議士)と蒲田広(のち弘前市議長、県会副議長)の三人での結社として発足した。

 その後発行は順調であったが、資金繰りは相変わらず厳しく、菊池九郎も有志の間を飛び回っていた。この点も新聞「日本」に良く似ている。

 明治22年2月11日の帝国憲法発布の日(新聞「日本」創刊日でもある。)に起きた「森有礼文部大臣刺殺」事件は、東奥日報のスクープとなった(同12日に森有礼大臣が死去しており、東京紙の13日付新聞は発行停止処分中。東奥日報が、青森県初の報道となった。仮に東京の新聞が青森に届くとしても当時は船便で4~五日はかかった。             しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2008-03-21 00:37 | その他 | Comments(0)
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