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菊池九郎(2)~東奥義塾~

 陸羯南が1873年(明治6年)、17歳で入学した東奥義塾は、1872年(明治5年)11月23日に設立された。その設立の中心人物が、菊池九郎である。

 秋永芳郎著「東奥の炬火 菊池九郎伝」によれば、概略は以下の通りである。

 菊池九郎は、1847年、弘前に生まれ、1858年、12歳で、東奥義塾の前身である弘前学問所・稽古館(1796年開校)に入学している。

 1869年(明治2年)、菊池九郎は、公費留学生として慶応義塾に入学。慶應義塾で学んだのは1年未満だったが、「福沢諭吉の影響が、少なからざる精神形成の一つの糧となったことであろう。」と秋永氏はいう。

 1870年(明治3年)、藩命により鹿児島に留学。鹿児島藩の英学校で学び、兵学校(砲術、兵制など)を研究した。帰郷中の西郷隆盛にも会い、薩摩の人々と同様、崇拝の念を抱くようになっていったようである。
 
 そして、鹿児島の留学から帰した直後の1871年(明治4年)に漢英学校の幹事(校長)に就任した。しかし、新しい学制が敷かれたため、この漢英学校の補助金も打ち切られ、廃校に追い込まれそうになる。

 そこで新しい私塾を興すべく、菊池九郎が東奔西走(鹿児島人脈も活用)、慶應義塾出身の吉川泰次郎、成田五十穂に働きかけ(彼らも猛運動を展開)、短期間で設立に漕ぎ付けた。

 藩主承昭から5千円を調達、奥州で初めて外国人教師(C・H・ウオルフやアルサス・コリンズ・マックレー)を招いた。有山輝雄著「陸羯南」では、この2人に羯南も「学んだであろう」とある。

 そして、東奥義塾の名声は日増しに高まり、県内外から俊英が集まったが、異色なのは旧斗南藩の柴四郎、藤田重俊、江南哲夫などである。

 そして、陸羯南が東奥義塾を去った後も、菊池は、青山学院の基礎を築いた本多庸一を塾長に据え(1874年、明治7年)、 翌1875年(明治8年)には、「旧藩藩札償却免除運動」の成功(ここでも鹿児島人脈を活用)を通じて、東奥義塾の経営を支えた(毎年3千円の補助金が藩主承昭からでる)。

 一方、本多を通じ、西洋林檎を初めて紹介したジョン・イング師を英語教師として採用している。

                                  しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2008-02-03 21:34 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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