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《黄泉還り対談》 陸羯南---正岡子規について語る その四

学生時代の子規

問  まず初めに、子規と初めて会った時の事についてお伺いしたいのですが。
陸  「あれは、明治十六年六月の頃だったと思うが、私が役所勤めをはじめて直ぐ、司法省法学校(現在の東京大学法学部)時代の友人である愛媛県松山出身の加藤恒忠君から話があって、
   『近々甥が上京するが、自分はフランスヘ行かねばならず、甥の面倒を見る人聞が居なくなるので、郷里の人に頼んでいく積もりだが、君の所へも顔を出す様に言っておいたから、その時は宜しく…』ということだった。
   それから四五日して、その若者が我が家にやって来た。
   正岡子規は浴衣に兵児帯を締め、『叔父が行けと言ったから参りました』と言ったきり、あまりものを言わない。私から色々話を切り出してやっと口を開くようになった。その話辰りを聞くと、中・々大人びており優秀な青年だと思った。子規の叔父の加藤は、私より二三歳若い男だが非常に優秀な人物で、血は争えないと感じたものだ」
問  その後ずっと行き来はあったんですか。
陸 「その後ぱ、なにか相談があれば来ると言う位のもので、彼は東京大学に入学したりで忙しくなり、数えるくらいしか会っていません」
問  どのような相談があったんでしょうか。
  「正岡子規の事は正岡君と呼んでいたので、ここからは正岡君と呼ぶ事にします。正岡君が東大には入って何年か経った頃(明治二十四年初秋)、何度か試験を放棄していて。大学の勉強に興味を失っていたようなんだ、と言うより大学をやめようとして相談に来たことがあった。
 私は、大反対した。その時は思い止まったんだが、彼の気持ちの中ではその事がくすぶっていたようだね」
問  大学を辞めてどうする積りだったんでしょうか。
陸  「彼は大学をやめても食べて行ける様に、小説家になろうとしていた、当時、幸田露伴や喪藤緑雨、尾崎紅葉などが小説家として成功していたんです。彼等は正岡君と同じ歳でしたそれで自分にも出来ると思ったのかも知れません」

つづく
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by kuga-katsunan | 2008-01-06 00:02 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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