有山輝雄先生の「陸羯南」の中に、「明治21年5月30日付の谷干城からの資金500円の受領書には『東京電報社主 陸實』とある。」と書かれている。
高知市立自由民権記念館「特別展 谷干城の見た明治展 図録」中に、
「『東京電報』社主の領収書と送付状(立教大学蔵) 明治21年5月30日・6月2日 送付状は古荘より谷干城宛」として、現物が写真として掲載されている。
「 證
一金五百圓也
右之金員御渡之相成り正ニ受取候也
明治廿一年五月丗日 東京電報社主 陸實」
「 東京電報社主
ヨリ之証券差
上申候同新聞紙
も近日ハ配達大ニ
早ク相成り今日之社
説其他も大分宜
敷相見へ申候近日ハ又
少々定購續之数
も相増候様ニ御座候
先ツハ右迄 匆々頓首
六月二日 古庄(荘)
谷公 貴下」
とあり、有山先生はこれを「彼(=陸羯南)は資金提供者(パトロン=谷干城)から実務を委託された立場である」とコメントしておられる。ともあれ、陸羯南は、33歳で東京電報の主筆兼社長になった。
(参考)浪岡鼕山のホームページによれば、古荘嘉門(ふるしょうかもん)とは、「1840~1915年、熊本生れ。名は惟正。嘉門は通称。佐賀の乱後、司法省判事となり、国粋主義を唱え紫溟会を組織。一高の校長、国権党の総裁、衆議院議員、台湾総督府内務部長、群馬県知事、三重県知事等を歴任し貴族院議員に勅撰。」とある。 しぶさわ