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言(こと)あげせず  羯南の寡黙

 羯南の伝記を書かれた有山先生は、その出版元である吉川弘文館の読者向けの雑誌<本郷>に<陸羯南の寡黙>という文章をかかれている。

  その中では、羯南は自らを語ることが少なかった、と評している。たしかに彼が自分自身のことを語った文章はほとんど見ることができない。
 ただ、人物評の中では、後世、多くの人が羯南の津軽なまりの残った温かみのある口調を書き遺している。

  たとえば東奥日報の尾崎竹四朗は、<明治の新聞人・陸羯南>(週刊時事、昭和43年9月ー10月連載)と題する文章の中で、後の朝日新聞の重鎮となった安藤正純、長谷川如是閑の回想を引いて次のような描写をしている。

「編集室のまんなかに大きな角火鉢があった。この火鉢を囲んで天下国家を論ずる。

羯南はいつも粗野な和服で現れる。若い社員らといっしょに火鉢に足を投げ出して、しばらくむっつり聞いているが、興至ると津軽なまりでさかんに国粋を語り、歴史を説き、日本の発展策を論ずる。

その中で羯南は警世の論説を書き、雪嶺の風刺名文が新聞に組み込まれたのである。」

  福岡へ福本日南の話を聞きにやまだ君、おおうち君といった時に、新聞日本と玄洋社に重なる末永純一郎、節の兄弟、古島一雄の話も調べようと、玄洋社記念館の館長さんを訪ねた。
 そのお話の中で社員たちの多くが、あまり自らのことを書き遺していない、という部分になり、<言(こと)あげせず>という、自らのことをあまりしゃべらない、一種の傾向があったのでは、との御話を頂戴した。

 先日、羯南の末裔の一人の方にお会いした時にも、羯南の自伝的文章がほとんどない、という話になり、津軽弁にも、自らのことを多く語らず、という表現があることをお教え頂いた。
 先ほどの尾崎の資料もそのとき頂いたのだが、新聞日本に集まったのが、津軽を中心とした東北の人々、福岡、熊本を中心とした九州の人々が多かったことを考えると、そこには一種共通した美意識があったのだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-11-07 04:53 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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