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金州の句碑 従軍記者 子規

 金州とは、遼東半島にある中国の旧城の街である。
同じ読みで錦州という地名もありよく間違えるのだが、今は大連市内に併合されている。

 そこに昭和15年、住んでいた日本人篤志家が子規の句碑をたてた。
愛媛県のメールマガジンにその事情が紹介されていた。

<今から100年以上前の明治28(1895)年、新聞「日本」の記者だった正岡子規は、日清戦争の従軍記者として遼東(りょうとう)半島に赴いた。その子規がどんなところに行き、何を見聞きしたのか、彼の日記などをもとに現地を訪れ、その足跡を丹念に調べたのが「子規・遼東半島の33日」の著者池内央(いけうち・ひろし)さん。20歳まで大連で過ごし、帰国後、愛媛の民放で活躍した人である。池内さんは、子規全集を読むまで、子規が遼東半島に行ったことを知らなかったというが、子規の陣中日記に、中学時代、遠足で行った懐かしい金州(きんしゅう)の地名や山の名があるのを発見し、子規を身近に感じて、その足跡をたどることを考えたという。
 「それまで私は、定年退職したらもう一度大連を訪れてみたいと漠然と考えていたんですが、これこそ私の仕事だと思いましたね」
 その思いを実行に移したのは平成7年4月。池内さんにとっては48年ぶりの大連再訪だった。100年という時の流れは現地での調査を困難にしたが、幸い日本語が上手な現地の人を紹介され、日本人中学の同窓会会報にも池内さんの取材活動が掲載されたことから、多くの人が資料を送ってくれた。

 その1つから、昭和15年、天后宮(てんこうぐう)の境内に子規の句碑があったことが分かり、池内さんは、もしそれが出てくれば、この調査をまとめる本の象徴になると感じた。しかし句碑の行方は分からず、2年にわたる執筆を終えた池内さんは、その探索を諦めて平成9年末に出版した。
  ところが翌年、埋められていた子規の句碑が建設工事現場で発見されたという知らせが入り、池内さんはこの句碑の再建に向けて奔走することになった。だが、子規が従軍記者であったことや、

「行く春の酒をたまはる陣屋哉」

という句が中国の人に理解されなかったことから、なかなか許可が下りなかった。
 「この句は、従軍記者とはいえ、食事や宿舎も満足なものを与えられなかった子規が、旧松山藩主久松定謨(ひさまつ・さだこと)から宴に招かれ、感激して詠んだ句で、陣屋というのも金州城内という意味なんです。日記を読んでも、子規が中国人に向けたまなざしは大変優しく、帰国後も新聞に清国文化を紹介して、日中文化の橋渡し役を果たしています」
 池内さんの説得と、加戸愛媛県知事による大連市金州区政府への公式な申し入れによって、平成13年、ようやく新博物館の庭に句碑が再建されることになり、式典には知事や中村松山市長ら300人が出席し、碑は日中友好の絆となった。>

(愛媛県Ehimail  2004年秋)

 上海に駐在しているときに、月に一度は大連に出張する時期があった。大連の駐在員の方にこの子規の句碑の話を聞いたことがあったが、それがついに再建されたことを知り、感慨深かった。

 子規はこの従軍中に鴎外、中村不折に会い、特派員としての職務も果たしたが、病も得て、帰国とともに入院することになる。この中国行が、子規の運命の旅であった。従軍願に署名した羯南の思いはいかばかりであったろう。
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文化愛媛49号

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-10-30 23:10 | トピックス | Comments(0)
<< 27歳の子規が遺したもの (その3) 陸羯南の書① >>




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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