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陸羯南の書①

陸羯南の書について述べたいと思う。

当時、毎日筆を持って字を書くというのは、生活の一部であり、特に陸羯南にとっては、他の人達よりも格段に筆を持つ時間が多かったと思う。

原稿をはじめ、手紙、それに漢詩に至るまで、たくさんの羯南書になるものが残っている。
今回、弘前を訪れ、9月の1日から2日にわたり、生誕百五十年没後五十年の記念イベントに参加して、またさまざまな展示物を見て、いかにも書は人を著すものである。との感が深まった。

ここで断っておくが、書の概念については、私個人の観点であるということを述べておきたいと思う。

羯南は、ジャーナリストであり書家ではない。言葉による表現は、どこまでも、言葉自身によって表現を貫くものであるが、饒舌家ではなかった羯南にとって書とは、言葉を紙に記す事により、より忠実に伝達するためのものであったと思う。どの書幅や手紙文を見ても、羯南の書く文字からは、実直であり、力強さを感じさせる。

下の写真をごらんいただきたい。羯南が竹間の友である、伊東重の家で、請われて書いた漢詩である。書法からいうと、少しうねうねとうねる和様書法で、固めの筆で書かれたことが伺える。

名山出名士 此語久相伝 試問厳城下 誰人天下賢
(名山 名士ヲ出ダス/此語 久シク相伝フ/試ミニ問フ厳城ノ下/誰カ人天下ノ賢ナルゾ)
意味としては、「名山の見える土地は素晴らしい士を出すという。このことばが世に行われて久しいが、しかし試みに問うに岩木山の秀峰を見るこの弘前城下から一体どんな天下の賢がでたろう。」(司馬遼太郎「北のまほろば」)

書体は行書で、全体に筆圧が強く、親友に頼まれ一気呵成に書かれたことがよくわかる。
書き出しの「名」「伝」「人」の三文字が大きくなっており、気持ちを強く込めて書かれている。
いかにも、豪放磊落で威厳のある筆運びである。また、他の作品と比べると、羯南の文字が大きく、落款もないことから、親友の勧めに、快く応えて清々しく書いたことが伺える。人を愛し、慈しんで生きていた羯南ならではの作品と言える。

現在は、岩木山が望め、弘前の街並みを見下ろす、狼森鷲ノ巣に、羯南を敬慕した故鳴海康仲氏が、この碑を建立し、天下の賢人の輩出を見守っている。

今後も少し間はあくだろうが、羯南の書について、思いつくまま書き綴りたいと思う。  
ささはら


陸羯南の書①_e0106376_17515947.jpg

by kuga-katsunan | 2007-10-28 18:00
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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