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杉浦重剛の「理想内閣表」

 小村寿太郎は、今となっては日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の交渉者としての存在が最も歴史上に残っているが、羯南にとっても近しい存在であった。

  戦前書かれた<小村寿太郎>(黒木勇吉、1941年、図書研究社)という浩瀚な評伝がある。その中で、98章に、<友と門下の人々>という小村にとって最も親しい人々が紹介されている。実は一番最初に登場するのが、かの杉浦重剛である。

 <杉浦重剛は、安政2年生まれ、小村と同年である。明治3年、杉浦16歳、膳所藩貢進生としなって東京に来たり、大学南校に入った。その時杉浦の耳朶に最初に響いたのは、すでに上級に在った「秀才小村」という名であった。>

 大学南校は、後の東京帝国大学のこと、明治の初期、日本全国の俊秀たちが集まってきていた。十代の多感の時期に二人は出会い、その後生涯を通じての<肺腑の友>となったのである。

 前述のブログにも書いたように、新聞日本の母体となった杉浦の創設した集団である<乾坤社>の同人にも小村は名をつらねている。

 この本には杉浦がつくった「理想内閣表」というのが紹介されている。

<明治39年のころである。ある人が「理想内閣表」を作って杉浦に見せると、杉浦は即時左のとおり改めた。>

 として以下杉浦が考えた主要閣僚が並ぶのだが、新聞日本に近しい人を挙げてみると


「 総理         近衛篤磨
  ロシア大使     古荘嘉門
  法相         陸 実
  宮相         佐々木高美
  海相         千頭清臣
  外相         小村寿太郎
  逓相         高橋健三
  農相         長谷川芳之助
  台湾総督      頭山 満    」

などがあげてきている。

 どうしても身贔屓になるのは止む得ない。羯南は新聞人の側面がクローズアップされているが、考えてみれば中退したとはいえ法学校の出身であり、その後の論説も、そこで培ったフランス法を中心とする知識が大きいことを考えると、法務大臣、というシナリオもあながちはずれていなくもないと思える。

 羯南にとって、頼れる先輩格である杉浦の親友、小村に頼み事をするエピソードも残っている。

たかぎ


 
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by kuga-katsunan | 2007-10-21 06:55 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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