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谷干城への書簡(3)

 「陸羯南全集第10巻」(書簡部分)より拾い読みを続ける(解説は有山輝雄著「陸羯南」他による)。

 明治33年、北清事変(義和団事件)が終わった後、ロシアは大軍を満州に留め、事実上軍事占領した。そしてロシアは、露清密約を結び、南下の気配を示していた。
 
 陸羯南の基本的考え方は、「列国を満州問題に巻き込み、列国の『均衡』を作りだすという力の国際政治論であった」。更に、満州中立化論、開放論を打ち出した。これは、近衛篤麿と見解を一にするものであった。

 そして、「支那保全」という限定的目的の国民同盟会を、陸羯南はいったん解散し、より強力な政治結社結成を指向していった。

 そのような中、近衛篤麿に説得されて、近衛の清国・朝鮮視察旅行に同行することとなった。
 
 明治34年8月末日(陸羯南⇒谷干城宛書簡)
 「・・・小生客(7)月十二日東京発近衛公に随行北京へ参候而、往復五十日振昨三十日神戸へ帰著致候。・・・実は近衛公より同行を求められ候へども、出無性之身且つ社用も忙しき折柄一応辞退致候処、更に再考を求め来り、小生之外同行に適当者見出兼候など申候故、社中へ
相談之上遂に同行決定致候次第御承知被下度候。

北京、天津は無論山海関に迄参り夫れより海上牛荘に行、芝罘へ参り、更に旅順、大連へ向ひ、再び芝罘へ引返し、夫より仁川へ向ひ、京城に行き、更に仁川より木浦、馬山浦を見て釜山へ参り、海路直行神戸へ参候。・・・」

 陸羯南はここで、現地での日本人と欧州人の活動を比較している。即ち、欧州人が、実益があれば、清韓の官民に対し、「正不正を選ばず」という態度で接しているのに対し、日本人は、「殆ど同等国に対するが如く、不正当不順所を避くる風」と評価している。「文明国」との競争に遅れを切歯扼腕し、「東洋」を振り切れない彼自身の姿でもある。 と有山先生は述べておられる。

 その後、陸羯南も賛意を示す日英同盟が結ばれる(但し、谷干城は反対)。

                                   しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2007-09-17 11:46 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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