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羯南 百回忌

 百回忌、という言葉あるのかは、不明だが今年は羯南の没後百年にあたる。

 9月2日に亡くなった羯南の遺体は、3日親戚に伴われて鎌倉から新橋駅に着き、新橋から馬車で根岸の旧宅へ帰った。葬儀は、5日午後一時から、谷中の全生庵で執り行われた。
会葬者の名簿は、今、青森の近代文学館で展示されているが、当時の新聞日本には

<会葬者の主なる者は、原内相、犬養毅、河野広中、島田三郎、徳富猪一郎、頭山満、池辺吉太郎、(中略)、珍田外務次官、杉浦重剛、加藤恒忠夫人、三宅雄二郎等の諸氏凡て五百余名なりき>
( 日本、明治40年9月6日)

 新聞日本の後を継いだ雑誌<日本及日本人>は、羯南の没後、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌(関東大震災)、そして三十三回忌と、羯南の特集を組んでいる。

 三十三回忌では座談会を掲載しているが

<先生の後嗣たる四郎君は、目下軍医として支那大陸にあるため、この席には見えなかったが、先生がありしままの根岸の旧居を守られる令嬢をはじめ、娘婿たる東海、鈴木、最上の三氏、親戚側の今居、佐々木の諸氏、旧同人その他着座、厳かな読経がはじまる。一同焼香をおえて後、鈴木虎雄博士は起って親戚を代表して一場の挨拶を述べられた。>
(日本及日本人  昭和14年10月号)

と法要の概略を述べている。

座談会は寒川鼠骨が司会となって始められた。

<羯南先生の三十三回忌にあたり、多数出席いただきまして有難う存じます。この前の二十七回忌の時は、御焼香を願っただけで、そのままお別れしてしまひまして、ただ有志の者だけが池の端の蓮玉で追憶談を試みたのでありましたが、この次はもう五十年になりますので、この機会に於いて少しの時間でも御話をして頂いて、先生を追憶致したいと存じます。>

五十回忌は昭和32年にあたる。太平洋戦争をはさんで戦後12年の年に、五十回忌が営まれたのかは未詳だが、三十三回忌に集った人々で生き残ったのは誰であったのだろうか。

 子規の妹の正岡律子は昭和16年に逝き、同期の国分青厓も終戦の年に亡くなっている。
 政治家に転じて吉田内閣の影の立役者とまで言われた、羯南の懐刀の古島一雄も昭和27年86歳で死去。
 長女の娘婿東海勇蔵の兄、新聞日本最後の資金繰りに苦闘した赤石定蔵は、昭和37年、川村欽吾と面談したり、東奥日報の羯南忌特集に小文を寄せたりしていたが昭和38年96歳で天寿を全うした。
 兄末永純一郎とともに日清戦争に従軍し記事を送った末永節は、その後宮崎㴞天、山田良政らと辛亥革命に力を尽くし、戦後は再び日中の融和を願って少林寺拳法の会長を勤めたりして昭和40年やはり96歳で羯南や兄のもとへ旅立った。
90有余の二人の翁は、五十回忌で相まみえたのだったろうか。

 <死者は語らず、生者をして語らしめん>

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-09-03 23:18 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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