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谷干城への書簡(1)

 「陸羯南全集第10巻」(書簡部分)より拾い読みをする(解説は有山輝雄著「陸羯南」他による)。

 以下の書簡は、日清戦争の大勢が決した中、谷干城を通じ、伊藤博文首相(第二次伊藤内閣)へ陸羯南が働きかけた書簡の抜粋である。

 明治27年11月19日(陸羯南⇒谷干城宛書簡)
「・・・台湾占領之事は閣下当初より之御持論に御座候処・・・何とか政府を促し・・・幸に伊伯来京、諸人之意見を聴くとて滞京中に付き・・・伊伯迄御説き被下間敷哉・・・小生大要別紙に愚見相認候。・・・尤も英と睨み合い之一点は伊公尤も嫌う所と存候故、軍人に対する方策とせば同意も可有之歟と存候・・・

  台湾占取の急を説く

・・・今日の計は一方に支那内地の侵入を進めつつ、他の一方には台湾を占領して、暗に英と睨み合うこと最も得策ならん。斯くの如くなれば露仏米は必ず陰に我の援助を為し、而して朝鮮の支那内地の侵入にも唯だ英国一国の妬視を招くに過ぎず。・・・速やかに台湾を占取すべし。是れ急務なり。

  台湾占領に附従する利益

一 償金の抵当にも其の一部たり。
一 日本通商の南進にも大利益あり。
・・・」

 日本国は、明治27年7月から日清戦争に突入していた〈明治28年4月迄)。*
 羯南が「文明国として清韓に接し、進出すること」と「東洋の一国として欧米列強に対抗、日清韓の唇歯輔車の関係の追求」というディレンマを棚上げし、現実主義的対外策として打ち出したのが「北守南進」論であった。英、露、清国の国力を冷静に分析、力の均衡を図る対外策を考えていたようだ。ロシアの脅威を低くみて共存しつつ、講和条約への期待として「南進の道を開け」と論じている。また、日本の戦勝によって列強の力関係が変動し、その干渉を招くことを強く危惧していたようだ。  

 *なお、日清戦争中、連戦連勝を煽る戦況報道は、読者に歓迎され、新聞社各社の発行部数の上昇をもたらした。一方、新聞社間の格差は拡大し、加えて外地に優秀な記者を送り出し、国内が手薄になった「日本」の経営は厳しくなっていったようだ。           しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2007-08-14 23:46 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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