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もう一つの新聞日本  台湾日日新聞のこと

 青森で始まった特別展「陸羯南と正岡子規」の図録は、興味深い。

 青森市の青森県近代文学館のHPには、その図録が掲載されており、内容を読むことができる。学ぶことが多いのだが、その中でも、<日本新聞社に在籍した青森県人>という面白いコラムがある。

 その前にある天田愚庵から始まる<羯南をめぐる人々>も、羯南が生涯を通じて深いかかわりのあった人々がきれいに整理されており、ともすれば混乱しがちな人間関係模様がすっきりした形だが、この<青森県人>の部分はさすがに地元の文学館の面目躍如の観がある。

 いろいろな回想の中で、同郷の出身者を可愛がった、とされている羯南だが、ここには9人の青森県出身者が紹介されている。

<1.成田鉄四郎(なりた・てつしろう)一八六四(元治元)―一八九四(明治二十七)弘前出身。

 2.赤石定蔵(あかいし・ていぞう)一八六七(慶応三)―一九二八(昭和三)弘前藩士東海昌雄の次男。

 3.小山内大六(おさない・だいろく)一八六八(明治元)―一九三八(昭和十三)弘前出身。

 4.桜庭経緯(さくらば・けいい)一八六八(明治元)―一八九五(明治二十八)弘前出身。

 5.浅水又次郎(あさみず・またじろう)一八七〇(明治三)―一九〇八(明治四十一)八戸出身。

 6.三浦勝太郎(みうら・かつたろう)一八六七(慶応三)―一九三九(昭和十四)弘前出身。

 7.斎藤信(さいとう・まこと)一八七一(明治四)―一九一三(大正二)弘前出身。

 8.花田節(はなだ・せつ)一八七一(明治四)―一九二一(大正十)弘前出身。

 9.佐藤紅緑(さとう・こうろく)一八七四(明治七)―一九四九(昭和二十四)弘前出身。>

(青森県近代文学館 「陸羯南と正岡子規」展 図録より)

 この9人のうち、浅水又次郎が八戸出身という以外はみごとに弘前出身者が並んでいる。おそらく実際はほかにも多くの青森出身者が机をならべて活躍していた、と思われるが名の残っている人々だけでも壮観である。

 後に、多くの新聞社で活躍して、最後は小説家として名をなした佐藤紅緑以外、日清戦争に従軍取材中、現地で病死した桜庭経緯を除くと、新聞日本以降も各新聞社で活躍したことがわかる。
 
 成田鉄四郎が東奥日報、三浦勝太郎が報知新聞、小山内大六が満州日日新聞でその後の活躍の場を得たが、残りの四人には共通した部分がある。

 図録によれば、明治36年8月、浅水又次郎が、台湾民政長官後藤新平の斡旋紹介で台湾日日新聞社に勤務、とある。前に新聞日本の最後の金庫番としての活躍を紹介した赤石定蔵も、後藤新平の推薦で台湾日日新聞社に入り、大正五年に社長となった、とある。赤石は明治39年6月の新聞日本の譲渡手続きを実際行っているので、台湾に移ったのはその後、と考えられるから、先に台湾に移った浅水に迎えられたのであろう。

 浅水は明治41年に亡くなっており、残りの二人、斉藤は大阪朝日を経て、花田は朝鮮の京城日報、大韓日報をへて、ともに台湾日日新聞へ入っている。

 朝日新聞に、羯南の育てた多くの人材が入ったことが、その基盤の確立に大いに貢献したことは広く知られている。ここにもう一つ、新聞日本の中でもおそらく羯南が最も手塩にかけたであろう弘前出身の記者たちが台湾日日新聞に入ったことで、もう一つの新聞日本が台北に存在していたのではないだろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2007-07-28 06:50 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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