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官立宮城師範学校

 羯南は、明治7年地元弘前の東奥義塾を退学し、仙台に設立された宮城師範学校へ入学した。

 <宮城県史>11巻教育に師範学校が紹介されている。

<官立宮城師範学校は、明治6年8月18日の文部省布達によって、大阪師範学校と同時に、東京師範学校に次いで仙台に設置することに決定し、初代学校長として藩士であった大槻文彦が任命された。>

  教育の近代化を矢継ぎ早に進める明治政府は、各地に師範学校を展開していった。対象学区は

 新潟県、柏崎県、置賜県、酒田県、若松県、長野県、相川県、新川県(第六学区)
 宮城県、磐前県、福島県、山形県、水沢県、岩手県、秋田県、青森県(第七学区)

で、入学生徒の年齢が20歳以上35歳までであったことを考えると、18歳で入学を許された羯南は最年少の部類であったのだろう。

 <12月生徒の学業を試験し、下等小学第七級に進めたものが13人、元級に止まったものが27人、発音が正しくないために退校されたものが6人もあった。>

 46人中、進級できたのが13人だったというのは、その教育の厳しさを伺わせる。

 仙台在住の同窓の友人たかはし君に案内して頂き、宮城師範学校の跡地を訪れた。藩校である養賢堂のあった跡地に建てられた学校であり今の県庁の前庭の部分にあたるという。今は県庁に来訪する人々のための駐車場になっている。植木の中に、白いモニュメントのようなものを見つけたが、それは旧県庁舎の塔頭であった。今となっては学校を偲ぶ縁はない。

 県財政厳しきおりから、この駐車場も4月から有料になったという。杜の都、東北地方の首都も経済の荒波にさらされている。誇り高き仙台商人も他県からの攻勢にさらされて落城のうきめにあうところも増えてきているという。しかし日本中、どこへ行っても同じような町並みになってしまうことは、本当の意味での日本の底力を削いでしまうことになるのではないのだろうか。

たかぎ

by kuga-katsunan | 2007-07-02 23:38 | 紀行
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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