<支那絵画史>というとどうしても内藤湖南の浩瀚な作品を思い出してしまうのだが、中村不折にも同題の著書がある。著書といっても実際は共著者の小鹿青雲という、僧侶で中国に実際に住んで現地の絵画を研究した人物の著作に校閲をした形のようだ。
大正2年発行の書籍にしては、非常に保存状態がよく、そのうえ、中国絵画の写真も20枚ほど掲載されている、という愛蔵版だが、表紙をあけるといかにも不折が書いたと思われる題字が並んでいる。今も生きている新宿中村屋や長野の清酒・真澄のロゴは、実は皆オリジナルは不折の製作ということだ。決して達筆とはいえないなかに、味のある字が並んでいて、一字一字が自己の存在をアッピールしているようだ。
不折については、同郷人の諏訪のたけい先生にお願いしてあるので詳細は譲るが、この本、 内容は中国絵画の歴史を漢以前から説き起こし、清朝まで通史する手法だが、最後までめくって奥付を見ておどろいた。
出版社は、玄黄社というところになっているのだが、その住所が神田区雉子町32番地となっていた。この住所はたしか、と思い、帰宅して日本新聞社が出版した本を探してみた。
23番地だったかな、とも思ったのだが、やはり日本新聞社も32番地であった。大正2年といえば羯南既に亡く、伊藤に譲渡された同社もたしか出火して移転した、と読んだ記憶がある。その後の同じ場所に出版社があり、そこから不折が本を出していたとは。
編集のために何度か足を運んだであろうが、その時、不折の胸に去来するものは何であったのだろうか。発行者は鶴田久作となっている。彼と往時の日本新聞社の賑わいを話あったのであろうか、今となっては知る術もない。
嗚呼・・・。
たかぎ