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在りし日の青木先生

十数年前の話をここに書かせていただくことをお許しください。

当時、日本新聞協会のコンピュータ関係の仕事をしていた私のところに青木先生がおいでになるのは、ちゃんと仕事をしているかを監視にこられる時ばかりではありませんでした。時折、ご自分が進めている、もしくは進めたい研究やいろんなミーティングの前に、参加される皆さんに配るレジュメのメモを作られては「おかぽん、清書してくれ」とお持ちになられたものででした。そんなにしょっちゅうではありませんでしたが。いろんなメモをコンピュータで清書しましたが、先生の字の書き方によってボールドをかけたり、斜体にしてみたり、サイズを変えたりなどをして。出来上がったものを先生にお戻しするとしばらく眺めてから、「ここのところ、もう少し大きい字にして」とかちょっと注文が出されるのが常でした。

陸羯南研究のレジュメを清書したのもそのころです。いつものように「ちゃんとやっとるか」とあらわれて、「おかぽん、これを清書してくれ」と「陸羯南研究」と題されたメモを渡されました。いつもに比べるとちょっと楽しげな口調だったような記憶があります。

いつものとおり、清書して、お渡しして。ちょっと注文をつけられて、手直しをして。いつもどおり進んだそのときをいまでも覚えているのは、そのあとがいつもとちょっと違っていたからでした。
それは「おかぽん、これからは陸羯南だぞ」と力強く、ニコニコしながらおっしゃられたことです。これからの言論界のために、日本の社会のために陸羯南のようなジャーナリストのことを研究することが大事だとおっしゃられてお帰りになられました。いつもより眼力が強く、研究に対する強い気持ちが感じられたことや、いつになく楽しそうに「お前も少しは陸羯南を勉強せい」とおっしゃられたことが今も記憶の中に残っています。本当に先生がその研究をやりたいんだな、そのお手伝いができる機会があればうれしいなと、そのときは思いました。

私はその後いろいろあって、先生に不義理をしながら生きてきましたが、陸羯南のことは忘れたことはありませんでした。先生がお亡くなりなったとき、陸羯南研究はどうなったのだろうと思いながらも、その数年間の不義理が恥ずかしくて、なかなかそのことを周りの方々に尋ねることができませんでした。昨年の青木塾で皆さんに久しぶりにお会いして、高木さんをはじめとするグループの皆さんが先生の遺志をついで、いまも活動されていることをお聞きして、きっと先生もよろこんでいるだろうなと、自分もうれしく思いました。

たぶんいまのような言論界の状況や社会情勢を見越していた先生が早くから目をつけて、陸羯南研究を進めようとしていのだと自分は思っています。先生は強い気持ちを持って、この研究に取組まれていたと思います。自分がちょっと触れさせていただいた先生の思いを皆さんにお伝えしたくて、ブログを書かせていただきました。

自分も皆さんのお手伝いができれば、皆さんと一緒に活動できるくらい力がつけば、と思っています。よろしくお願いします。

ご静読、ありがとうございました。

オカポン
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by kuga-katsunan | 2007-05-12 22:15 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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