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空母 赤城艦長 青木泰二郎大佐 その二  

 吉田満の著書に<提督伊藤整一の生涯>という作品がある。

 吉田満は、東京生まれ1943年東京帝国大学法学部から学徒出陣で海軍予備学生、1944年12月戦艦大和に乗艦、翌1945年4月菊水作戦に参加、同年9月両親の疎開先である東京都西多摩郡に復員。処女作にして代表作の『戦艦大和ノ最期』を執筆、日本銀行に入行した。銀行員として勤務のかたわら、上記の作品をはじめ<臼淵大尉の場合―進歩への願い>、<祖国と敵国の間>など戦艦大和にまつわる人々を描き残した。

 その作品の中に青木大佐が登場する。少し長くなるが引用させて頂く。

 最後の大和艦長有賀幸作大佐の回想の中である。ミッドウェー海戦当時、有賀大佐は赤城を護衛した第4駆逐隊司令、青木大佐の4期後輩である。

 <ミッドウェー海戦における日本側の主力空母は、第一航空戦隊所属の「加賀」「赤城」、第二航空戦隊所属の「飛龍」「蒼龍」であり、第四駆逐隊は引き続き第一航空戦隊の護衛に任じていた。
(中略)
 それから「赤城」は機関室を破壊されて停止し、舵を失い、電気が消え、爆発をくりかえしながら、沈没を免れて漂流をつづけた。有賀司令は旗艦「嵐」を「赤城」の右舷に横付けし、消火作業を開始するとともに、艦隊司令部あて打電した。「今夜ハ赤城ノ警戒ニ任ジ、敵艦来ラバ、刺違エ戦法ヲモツテコレヲ撃滅セントス」

 しかし発電機がとまって消火ポンプが作動せず、さらに機関科員全員が窒息の危険にさらされていることが致命的であった。有賀司令は、艦自体は曳航して内地に帰投する可能性が絶無ではないが、火炎の延焼状況からみて、生存者の救助は一刻を争うものと判断し、艦長、青木泰二郎大佐にたいして、強く退艦を勧めた。艦長は固辞して譲らなかったが、有賀司令が「赤城の処置については、自分たちにお任せいただきたい。赤城乗組員を一人でも多く救出して再起を図るためにも、艦長に陣頭に立って退艦していただかねばならない」と再三懇願したので、ようやく移乗を決意した。時にその日の夜、七時半少し前であった。

 自力で操行不能な艦を漂流状態のまま放置しておくことは、戦況いかんでは、いつ何時敵から捕獲されるかもしれない危険にさらしておくにひとしい。青木艦長は、おそらく自問自答をくり返した末、艦隊旗艦の艦長としての責任と良心にかけて決断したのであろう。「赤城」の処分について、南雲長官に許可を求める電報を打ったのであった。

 南雲長官からの返信の代りに、後方にある山本連合艦隊司令長官から、「赤城は沈めないように努力せよ」という短い命令がきた。この命令には、長く「赤城」の艦長をつとめ、格別の愛着を抱いていた山本長官の感傷がこめられているに違いない、というのが通説である。また青木艦長が、このかけがえのない艦の処置について、指示を仰ぐのではなく、自沈処分を決めて許可を求めた態度が、上層部の心証を害したのではないか、という見方も有力である。「嵐」の司令室に収容されていた青木艦長は、事態の急変を見て、有賀司令の勧告にしたがったことを後悔し、「赤城」にもどしてくれと必死に懇願したが、「赤城」に近づこうとする作業そのものが、すでに危険きわまる状況であった。青木艦長は地団太を踏んで口惜しがったが、手足を取おさえられ、涙をのんで断念するほかなかった。

 戦況は悪化する一方であった。有賀司令は、山本長官の「処分見合わせよ」の命令にもかかわらず、「赤城」をわが魚雷で沈めることが最善の策であるとの結論に到達し、駆逐隊を「赤城」から二千メートルの距離に近づけ、「嵐」「野分」「萩風」の順に魚雷を一本ずつ射たせることとした。そのうち二本が命中して「赤城」が水中に姿を消したのは、翌六日の朝五時であった。
 (中略)
 青木大佐は、こうして、かならずしもみずからの意志によるものではないにしても、戦艦、空母クラスの大艦の艦長として、艦と運命をともにしなかった最初の艦長、という不名誉をになうことになった。

 一提督を養成するには、二十年、三十年という長い年月と、莫大な費用を必要とする。艦は沈んでも再製が可能だが、人間はそうはいかない。したがって、いかなる手段に訴えても人命の救出に万全を期するのが、米英の伝統的思想であった。日本海軍においても、中央の人事当局、作戦当局は、同じ発想を支持していたものと思われる。

 青木艦長の処置についても、しばらく閑職につけ、ほとぼりがさめてから前線復帰を考慮する方針であったといわれるが、山口、岡田、柳本、加来の各提督の悠容たる死に様を礼讃する声が高まるなかで、「艦を捨てて生還した艦長」を非難する世論には抗し切れず、早や早やと予備役編入の命令が下ったのであった。

 その日から、有賀司令の苦悩がはじまった。あの時自分がとった処置が、間違っていたとは思わぬ。四期後輩の自分の進言を受け入れてくれた青木艦長の度量にも敬服するが、結果としてみれば、多くの偶然が重なって、現職の軍人としては最も堪え難い屈辱が、青木大佐を待ち受けていることは事実である。しかも自分には、それを償おうにも、なすすべがない。

 そこへ、兵学校の同期会に呼び出された青木大佐が、満座のなかで罵られ、「クラスの面汚し」として、頭から酒を浴びせられた、という噂が伝わってきた。
 
 一言の抗弁もせず、されるがままに任せた青木大佐の心中を思って、有賀司令はただ暗然と、自責の思いをこらえるだけであった。>

(吉田満 提督伊藤整一の生涯 文芸春秋社 昭和52年11月)

 運命のいたずらは、時として、人を地獄においやる。

 青木大佐の無念を思うと言葉もない。

 この吉田満の本は、青木先生の形見分けの品の中にあった。

たかぎ
by kuga-katsunan | 2007-03-25 21:48 | トピックス
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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