空母赤城の艦長であった青木大佐は、このブログのスタートとなった青木先生の父君にあたられる。司馬さんは、<街道をゆく>の三浦半島記の中で、青木先生を父君青木大佐と対比しながら紹介しているが、その章は<ミッドウェー海戦>という題である。
<この(ミッドウェーへの)航海中に、海軍記念日(5月27日)をむかえたので、赤城の艦長の青木泰二郎大佐は、後甲板に全乗員を集め、37年前の日露戦争勝利のあとの「連合艦隊解散の辞」を朗読した。・・・・その結句の「勝って兜の緒を締めよ」という文言を引用して、青木艦長が、将士のおごりをいましめた、という。>
(司馬遼太郎 街道をゆく 三浦半島記 朝日新聞社)
青木大佐は、海軍兵学校41期、大正2年12月19日の卒業、赤城へは、ミッドウェー作戦が始動する前月4月に着任したばかりであった。前任地は、土浦航空隊司令であった。
青木先生に、東京の新聞社から、茨城の田舎の大学に来られて抵抗はないか、とお伺いしたことがある。
<それは、給料は半分以下になるし、家族とは離れるし、君たちのような学生さんの相手はしなければならないし、とギャップは多いが、考えてみると親父も同じくらいの年で土浦に来たのだから、このあたりは青木家にとっては故地なんだな。>
その頃は、青木先生が筑波に来られて2ケ月ほどであったので、父君のことも存じあげなかった。戦前に東京から土浦に仕事で来られるとは、どんな職業の方だったのだろう、と思ったのを覚えている。
ちなみに、連合艦隊解散の辞は、秋山真之の作とされている。
たかぎ