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<司馬遼太郎の遺言>

 司馬遼太郎友の会の威力か、高円寺の市に行くと、司馬さんと青木先生が待っていた。
青木先生が社長をやられていた夕刊フジの編集による<司馬遼太郎の遺言>(産経新聞社、1997年2月)が棚に並んでいたのである。

 この本は、司馬さんの一周忌のタイミングに夕刊フジが司馬さんと親しかった人々にインタビューしたものをまとめたものである。先日の菜の花忌でも司馬さんの思い出を楽しそうに語っていられた田辺聖子さん、司馬さんの追悼番組で青木先生とも対談されていた半藤一利さんをはじめ錚々たる人々がインタビューに答えている。

 この中で青木先生が司馬さんと陸羯南について語られていることが、お二人の羯南に対する想いがよく現れているので再録させて頂く。

 <-司馬さんが亡くなって、一番の心残りといいますと
‘‘陸羯南の研究ですね。私が勤めていた筑波大学に羯南の講座を作ろうという提案が、昭和61年の暮れに司馬さんからあったんです。ところが、私が体調を崩していたのと、講座をつくるためのメンバーの足並みがそろわなくて実現できなかった。これはぼくにとっても、司馬さんにとっても大変心残りなできごとです。’’

ー司馬さんはなぜ、陸羯南の講座を作ろうとしたのでしょうか
‘‘まず、司馬さんは「坂の上の雲」の中で、日本人が近代国家を作るために努力した結果としての日露戦争を書きました。そしてその明るい明治国家をダメにしたものとして、司馬さん自身の戦車兵体験から、ノモンハン事件を小説にしたかったわけです。
 でも書けなかった。小説を書く体力がなかったうえに、ノモンハンを書くとなると、統帥権を通して、昭和天皇の功罪に触れざるを得なくなるわけで、司馬さんも、それにはまだ時機が早い、と言っています。’’

ーそこで、明るい明治国家をダメにしたものを別の角度から見るために、羯南が登場してきたと。

‘‘日本という国が明治の興隆からダメになっていく過程を描くとすれば、ジャーナリズムの責任という問題が出てくる。明治の言論界の巨峰である羯南のもとに集まった新聞人たちによって築かれた新聞ジャーナリズムが、昭和に入って衰弱したために、戦争ー敗戦につながったんです。軍人から描くと具合が悪いけど、文人を通してなら・・・・・という構想が司馬さんの中にあったと思う。
  司馬さんは小説ではムリなので、一緒に講義をしてジャーナリズムの偉大な先輩を今に残そうとしたんじゃないか。
  
ーー青木さんは中央公論9月臨時増刊号で、次のような一文を寄せている。文中の彼は司馬さんのこと。

 「彼(司馬遼太郎)は、新聞ジャーナリズムが近代日本の浮沈に深くかかわったという認識から、その現状と将来に英知(Wisdom)を求めてやまなかった。

  また、新聞記者には、無償の功名主義、という戦国忍者に共通する透明な職業意識を期待していた」
    <司馬遼太郎の遺言、夕刊フジ編集、産経新聞社、1997>

  <無償の功名主義>

  <透明な職業意識>

  ノーブレス・オブリージュというべきか、
  ともに失われやすく、重い言葉である。

 たかぎ 
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by kuga-katsunan | 2007-03-11 22:11 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
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