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<羯南と古島一雄>(94) 私立大学評判記(その83)

 伊藤欽亮は慶應義塾を明治12年(1879年)に卒業後、明治29年(1896年)まで、ほとんどを時事新報社に在籍した。『慶応義塾出身名流列伝』によれば、彼の手腕を「其筆にする処の慎重なる言論は、大いに社会の信用を博したりき」と評価している。

 また、前出の都倉武之氏(慶応義塾大学准教授)によれば、伊藤の性格は「真面目一徹、職務に熱心」であり、自分の信念に忠実なぶん、頑固であった。しかし一方、人柄は穏やかで人情味があったという。

 伊藤が時事新報社のトップになれたのは、福沢諭吉の信頼が厚かったからである。彼は明治23,24年(1890、91年)ごろから、編集長を担い実質的な社長(社長は中上川彦次郎)として全盛時代をむかえ、明治26年(1893年)からは編集長に加えて、得意な会計責任者を兼務した。

 福沢は毎朝、時事新報紙面の隅々まで目を通し、編集上の誤りや気に食わない記事を見つけると、すぐに伊藤に小言を言ったという。福澤は記事を書いた者が誰かは関係なく、猛然と伊藤を叱るのであるが、伊藤はそれに口答えせずに聞き、また連日、三田へ通って福沢の相談に応じていたとのことである。

 伊藤が社長として実際にしていたことは、社説を書くことではなく、紙面の構成を決めることだったようである。社説への関与としては、ルビを振ることであり、時には、短い記事や論説を書くことがあり、穏やかな筆致ながら、時々「肺腑を突く」ような鋭い指摘を加えることがあった。

 それ以上に、何よりも取材力の貢献が大であったという。もともと長州出身であり、伊藤博文、山県有朋、桂太郎と日ごろからパイプを持っていて、取材に無理がきいた。重要な取材には自ら出向いて行って、次官でも入れないような会議にも入って行けた。

 日清戦争時に外務次官だった林薫が、ある時重要会議に遅れて参加したら、すでに伊藤が列席しているのを目にしたと語っているとのこと。
 しかし、一方で、藩閥反対の立場にはゆるぎなかったという。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2016-05-21 09:37 | その他 | Comments(0)
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