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<羯南と古島一雄>(90) 私立大学評判記(その79)

 今回も「私立大学評判記(二十六)慶応義塾の学風(二)」である。
 古島一雄は世間の慶応義塾に対する素町人主義批判への反論に続き、拝金主義批判への疑問を以下のように呈する。 

 「下って矢野文雄時代となり、更に三田に移って藤田茂吉、箕浦勝人、波多野承五郎等がギゾーの文明史を読み得て始めて卒業者となりし時代を見よ。其先輩たる九鬼、渡邊、肥田の諸輩が官途に就くや、意気地なしの骨頂と罵り、留まって義塾の講師となり、其清貧に安んじたる門野等が、如何に名誉あるものとして尊敬せられたるぞ。」

 明治時代中期、慶應義塾では、卒業し官吏となって金と地位を得るより、母校の講師として収入は少なくも、清く正しくあることが理想とされた。

 ちなみに、矢野文雄は慶應義塾の大阪分校の校長、評議員を務め、後に郵便報知新聞社社長、政治家となった。また、藤田茂吉は郵便報知新聞社主筆となり、その後、立憲改正党の政治家として活躍し、箕浦勝人は郵便報知新聞社社長となり、後に政治家へ転向した。波多野承五郎は時事新報主筆を経て、朝野新聞社長に就任し、その後政治家となっている。

 一方、九鬼隆一、肥田昭作は前回にも紹介したように、当時、官吏として活躍していた。ただ渡邊治は官吏となった様子は確認できなかった。
 そして、古島は次のように続けている。

 「当時慶応義塾を卒業したるものは少なくも百円の月給には有付きしなり。然るに塾中の者皆曰く、願わくば学成って三田の講師たらん已むを得ずんば民間の政治家乎。若し夫の官吏たるは一生の恥辱なりと。此時に方て彼等の塾中果たして一人の拝金主義ありし乎。」

 古島は慶応義塾の卒業生にとって、金に目がくらんで官吏になることは、「一生の恥辱なり」というほどであったという理由で、拝金主義を否定する。

 当時、慶応義塾を卒業したら100円の月給が得られたという。当時の1円は現在でいうと2万円に相当する(ただし、さまざまな換算方法がある。)。ということは月収200万円、相当な高給であるが、さらに官吏となれば、それ以上の高額給与が約束されていた。例えば、奉任官6等で150円(現在の300万円)、5等ともなれば200円(400万円)あった。

 一方、慶應義塾の講師の月給は10円(20万円)から50円(100万円)であった。慶応卒業生の多く者は講師を目指したという。そうでなければ政治家へ、決して官吏になろうとはしなかった。したがって、拝金主義ではないと古島はいうのである。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2015-10-28 09:41 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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