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閔妃暗殺を読んで③

 角田房子著、「閔妃暗殺-朝鮮王朝末期の国母」によって、高宗(閔妃の夫)の実父である大院君(興宣君是応、1820-1898年)が権力を握る迄の朝鮮王朝の権力構造の歴史について、概観してみたい。

 1392年李氏朝鮮・李成桂(太祖)が高麗を滅ぼし、首都をソウルに定めた。国教を仏教から儒教・朱子学へ転換した。この儒教の教えが先祖を敬うという風習を残したといえる。

 15世紀頃から、官僚機構は両班(武班と文班)に分かれ、この家に生まれたもののみ科挙の受験資格が認められ、この両班が権力闘争を繰り返した。

 22代正祖の時代には両班の争いが下火になったが、代わって勢道(セド)政治が横行した。勢道政治とは、王の信任を得た人物あるいは集団が政権を独占する状態をいう。日本の藤原家が実権を握った摂関政治に似ているかもしれない。

 この勢道政治の中心になったのが、安東金氏一族である。23~25代の王后は、金氏一族から選ばれ国家の要職を独占し、王族を虐待した。

 そして25代哲宗が亡くなった瞬間、王室の最高位は、23代王純宗の子であり、24代王憲宗の父である翼宗(孝明世子)の妃である趙大王王妃(神貞王后)となった。

 趙大王王妃は金氏でなく趙氏であったため、大院君と組んで大院君の第2子である命福を、1864年第26代の王(高宗)に就任させることに成功した。高宗はこの時11歳であったため、大院君が権力を掌握することができた。

 形式的には1864~1866年までは趙大王王妃の垂簾政治(簾の内で摂政として政治を行うこと)後、大院君が実権を握った。

 大院君の業績として、プラス面では、有能な人材の登用、官制改革、小作人制度撤廃等がある。一方、マイナス面では、1865年~多額の財源を使い、景福宮の再建工事の実施、1866年のキリスト教徒大弾圧、極端な鎖国政策等である。大院君には権限の濫用、独裁が認められた。

 このため、高宗が21歳になった時(1873年)、大院君は失脚した。代わって実権を握り、勢道政治を行ったのが、閔妃とその一族である閔氏である。

しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2015-03-16 23:15 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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