「近衛篤麿日記」(第4巻)p.243.によれば、羯南ら一行は、8月19日に漢城病院、慶運宮(皇帝、皇太子に拝謁)に行っている。
南山図書館のホームページの沿革を見ると、
「1922/10 京城府立図書館開館(中区明洞2街25所在、旧漢城病院の建物を図書館として改修)」
とあった。現在25番地は、明洞地区の繁華街(原宿の竹下通りのような感じ)の一角になっていた。
次に「慶運宮」は、李氏朝鮮第14代国王・宣祖(ソンジョ)が、1593年に荒廃した景福宮のかわりの臨時の王宮とし、第15代国王・光海君が「慶運宮」と命名した。しかし光海君が昌徳宮に移ると廃墟となった。
1895年に第26代国王・高宗の妃・閔妃の暗殺された後、高宗は慶運宮を改修し、居住した(1897~1907年は初代大韓帝国皇帝)。そして第2代皇帝純宗が「慶運宮」を「徳寿宮」と改名し、現在に至っている。
羯南らはこの初代皇帝・高宗と皇太子(第2代皇帝純宗)に拝謁していたことになる。高宗はあまり政治に関心がなかったようなので、羯南らも心もとなく感じたことであろう。
しぶさわ
写真:明洞地区25番地の漢城病院跡(小澤教授とともに)