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羯南の京城(ソウル)での足跡を辿る③

 「近衛篤麿日記」(第4巻)p.243.によれば、羯南一行は、8月18日昌徳宮(仁政殿他)、景福宮(勤政殿他)、慶会楼等を巡っている。

たかぎ主筆と小生も、順に巡ってみた。

昌徳宮は、李氏朝鮮第3代王太宗(テジョン)が1405年に建てた離宮。1592~1598年の文禄慶長の役で焼失し、1615年に第15代王の光海君が宮廷として再建した。景福宮が再建される迄、歴代の王が政務を執ったという。1997年ユネスコ世界遺産に登録された。仁政殿は昌徳宮の正殿。

景福宮は、李氏朝鮮初代の李成桂(イソンケ)が1394年に建てた王宮。16~19世紀までの270年間は、文禄慶長の役や満州王朝(後金、清)の侵入により焼失し放置された。その後1995年に光化門と興礼門の間にあった旧朝鮮総督府庁舎(1910年築)の解体を含め復元・補修が進んでいる。

南側の光化門、興礼門と続く北側に韓国最大の木造建築物である勤正殿がある。勤政殿で王の即位式、大礼が行われた。その奥に王が政務を執った思政殿があり、更にその奥に②でも述べた香遠亭・閔妃の乾清宮がある。

慶会楼は北に向かって思政殿の左奥にあり、韓国最大の楼閣である。科挙の最終試験にも使われ、景福宮随一の美しさと言われている。

篤麿のこれらの宮に関する記述は淡々と描かれているが、この時期景福宮はまだ復興が不十分なものと推定され、このままではあっという間にロシアに占拠されてしまうと感じたに違いない。

また、景福宮、昌徳宮、宗廟(李氏朝鮮歴代19代の王と王妃の廟)などは、ソウル市街の北部にあり、日本の平城京・平安京の大内裏が都の北部にあったこと(北けつ型)と共通するところがあると感じた。

なお、光化門から南へ延びる大通りには、第4代世宗大王(セジョンデワン)の銅像、李舜臣将軍の像(文禄慶長の役の際に水軍を指揮)があり、この二人が、現代でも韓国の英雄であることが分かった。

しぶさわ

写真上は、昌徳宮の仁政殿

写真中は、景福宮の勤政殿

写真下は、慶会楼
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by kuga-katsunan | 2015-02-01 11:52 | 紀行 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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