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羯南の京城(ソウル)での足跡を辿る②

 「近衛篤麿日記」(第4巻)pp.242-243によれば、篤麿、羯南一行は、明治34(1901)年8月14日芝罘(チーフー,中国・山東省・煙台市)を午後4時に出帆。15日午後4時に仁川に上陸している。

16日支那・日本・各国居留地・朝鮮市街地を一覧後、16:45仁川発の列車で、18時過ぎに京城(ソウル)に到着している(なお、現在の高速鉄道では、仁川空港=ソウル間は43分である)。

17日(同書p.243)は、「・・・電気鉄道にて東大門に赴き、・・・閔妃の廟に至り、・・・」とある。

そこで我々は、まず東大門(興仁之門)を訪れた。北側にはソウル城壁の後も残っており、京城が城壁に囲まれた都市であったことが推認できた。

次に、「閔妃の廟」については、1919年に京畿道南楊州市金谷洞の洪陵(高宗と合葬)に移されているということで、跡地の確認ができなかった。そこで我々は、景福宮内部の香遠亭の北側にある閔妃が居住していた乾清宮をみることで甘んじた。

更に電気鉄道については、ソウル歴史博物館前に1968年11月の廃線直前のものと思われる路面電車があった。運転台の駆動部に「三菱電機製」と視認できた。1901年当時は、それまで京都市電から出向の日本人運転手からアメリカ人運転手に移行していた時期にあたる。

 なお、九州大学松原教授の研究室の1901年京城地図(http://matsu.rcks.kyushu-u.ac.jp/lab/?page_id=847)によれば、17日の記述に出てくる「日本領事館」は、南大門(崇礼門)北東部に、日本公使館は、明洞駅の南部、南山の近くにその存在が確認できた。

(注1)裵賢美(1997)「韓国と日本における都市中心部形成過程における比較研究」東大農学部演習林報告pp.31-32において、1903-1904年頃の鐘路の路面電車や忠部路の街の様子が伺える。

(注2)閔妃については、角田房子(1993)「閔妃暗殺-朝鮮王朝末期の国母」新潮文庫が詳しい。

写真上は、東大門

写真中は、香遠亭の奥に乾清宮を望む。

写真下は、ソウル歴史博物館前の路面電車

しぶさわ

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by kuga-katsunan | 2015-01-26 23:09 | 紀行 | Comments(0)
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