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<羯南と古島一雄>(81) 私立大学評判記(その70)

 引き続き「慶応義塾の寄宿舎」(天耳生『慶応義塾学報』第70号)からである。本来、教育の中心であるはずの講堂(当時はここで授業をしていた。)について、以下のように批判されている。大事なところなので、少し長くなるが引用する。

 「元来学校の学風というものは、殺風景な講堂内の机の上で製造せらるべきものではない、もともと講堂といふものが学芸の売買場なので、理屈家は種々の鹿爪らしい理屈を付けて、講堂は神聖だのと、一応は有難いことをいって見るものの、実は矢ッ張り勧工場の様なもので、教師は売手で、生徒は買手、教師は講堂へ店を張て、生徒が之を買ひに来るといふ仕掛なのである。」

 「勧工場から学風が出たためしがない以上、また講堂から学風が湧て来る道理はあるまい。ケンブリツヂ大学や、オツクスフオード大学の学風はその寄宿舎に存するといふではないか、本来寄宿舎は学校の中心たるべき所なので、所謂品性の陶冶は、即ち此処で成就さるべきものである。」

 上記に語られているように「学風」が学校の存続にとって重要な要素となる。学風が学生間、また教員との一体感を生み、連帯感を強化する。また、それが学校の個性ともなのである。この「学風」という組織風土こそが学校の本質とでも言ってよいのかもしれない。

 学風は寄宿舎という学生同士が毎日、顔を突き合わせる場で、勉学に切磋琢磨するだけでなく、日常生活や“釜の飯”を共にし、全人的なかかわりのなかで育まれて行くものなのである。

 既に古島一雄が当時の授業をルポルタージュして述べていた(<羯南と古島一雄>(77))ように、講堂では教師が講義ノートを一方的に読み上げるだけの授業が行われていた。ここからは学風は生まれない。慶応の学風である「独立自尊」が醸成されたのは講堂ではなく、寄宿であった。
 天耳生は、以下のように述べている。

 「慶応義塾の本色がその寄宿舎に在るといふのは取りも直さず之なので、学校を一家と見れば、講堂はその店頭で、寄宿舎はその家庭である。慶応義塾が五十年来の教育主義は即ち此処で実現せられたので、慶応義塾の寄宿舎は慶応義塾其物であるといふことが出来る。若しも今此慶応義塾からその寄宿舎を取去れば、慶応義塾は最早ゼロで、今の偏狭固陋の教育主義に抗戦して『独立自尊』の光輝を発揚すべき唯一の武器を失ったものといわねばならぬ。」

 学校にとって「学風」の重要性というのは現在でも変わらない。次回、学校の存続にとって何がポイントなのか、もう少し深く掘り下げてみようと思う。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2015-01-21 10:16 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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