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<羯南と古島一雄>(78) 私立大学評判記(その67)

 「私立大学評判記(二十三)慶応義塾の講堂と食堂」の続きである。
 前回、古島は慶応義塾大学の講堂で行われた朗読講義に失望したのであった。しかし、食堂を目にするにつけ、私立大学教育の将来に希望を見出すことになる。それが以下のように綴られている。少し長いが引用しよう。

 「吾人は幾多失望の念と幾多不平の念に駆られつつ恨を講堂に残して将に辞し去らんとするやフト寄宿舎なる文字の目を射るものあり。即ち請ふて先ず食堂に入る。ただ見る。幾百の食卓列を為して整然たる処、独立自尊の大額は掲げられて正面の一端に在り」

 「一卓十五人を座せしむべく、卓に卓長あり整理の責に任じ、呼ぶにボーイあり。命を聞く飛ぶが如し。堂は優に四百人を容るべき大建築にして能く其の清潔と静粛を保ちたるのみならず、其の賄いの方法が全く寄宿舎生の自治に依りて経営せられたるは吾人の甚だ快とせし所にして、講堂に於いて得たる不平の念は食堂に於いて其の幾分を慰藉したりしは、吾人又喜んで之を白状せざるを得ず」

 なぜ古島は食堂に目がいったのか。それは「従来、何処の学校に於いても寄宿舎失敗の歴史を尋ねれば、毎に賄征伐なるクーデターより来らざるなし」にあるという。

 当時の学生は寄宿舎(学生寮)で生活をするのが常であった。その寄宿舎の食事は運営の難しさから賄業者によって運営されていた。しかし、当時はまだ集団給食事業という近代産業としては確立されておらず、また業者が経費をピンハネすることもあって、食事の内容が貧弱で、学生の要求を満たすものでないことが多かった。そのことに学生が不満を持ち、それが「賄征伐」といわれるかたちで爆発したのであった。

 具体的な内容はさまざまであり、用意された米を全部食べてさらに要求したり、机をたたき茶碗や皿を投げつけて壊したり、時には暴力沙汰にまで行き着くことがあった。そして、賄征伐を起こした学生に対する処分は厳しく、単に謹慎処分から退学に発展することもあった。

 その代表例が、まさに陸羯南の司法省法学校時代である。彼はこの賄征伐にかかわり退学処分となった。ちなみにその時一緒に放校となったのが、原敬、福本日南、加藤恒忠、国分青崖である。

 このように現在では理解しにくいが、当時は賄征伐が頻発し、食堂の運営は非常に困難であった。もちろん慶応義塾大学も例外ではなく、賄征伐で苦労した歴史がある。しかし、古島が見学に行った時期にはすでに賄征伐を克服し、学生自治によりみごとな運営を行っていたのであった。

 その自治の方法については、次回詳しく見てみよう。

 いしがみ
by kuga-katsunan | 2014-10-25 11:03 | その他
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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