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羯南の北京での足跡を辿る⑤

***25日/頤和園(万寿山、昆明湖など)、円明園***

 近衛篤麿日記p.232.によれば、25日は「万寿山に赴く・・・船形石造の楼閣上に於て午餐を喫し、・・・イタリヤ守備兵に小船を出さしめ、湖上(昆明湖)を一周し、・・・玉泉山に至り、冷水を汲み・・・円明園の古跡を訪ね・・・ドイツ兵の占領したる万寿寺をみる・・・」とある。

羯南が訪れた1901年は、義和団事件が起こった翌年であり、外国兵が各地区を占拠していたことが文面からも分かる。

万寿山、昆明湖を含む頣和園は、総面積290万㎡で、全面積の3/4が昆明湖。北京最大の皇家園林(皇室とその一族の庭園)で、世界遺産である。1750年に第6代皇帝の乾隆帝が造成したが、1860年の第二次アヘン(アロー)戦争で、英仏連合軍が破壊した。

1884~1894年、第11代光緒帝(西太后の甥で、西太后の傀儡といわれている。)が再建した。再建には、海軍経費の15年分を要したため、北洋艦隊の再建予算を流用し、このことが日清戦争敗戦の要因の一つとも言われている。

西太后が、頣和園(穏やかさを養うの意)と名づけた。
しかし、1900年に8ヶ国連合軍で再び破壊され、西太后が1902年に再度再建した。

従って、1901年に羯南たちの観た万寿山付近はかなり破壊されていたか、再建中であったものと推測される。

羯南たちが、昼食をとった船形石造の楼閣は、「清晏舫(せいあんぼう)」と呼ばれ、全長36mの石の船である。神仙世界の蓬莱島へ向かう宝船だという(現在は立ち入り禁止)。

玉泉山は、昆明湖から西に1km足らずのところにあり、昆明湖の水源。乾隆帝が、「天下第一泉」と賞賛したという(周辺は静明園という)。

円明園は、皇家園林である3山(万寿山、玉泉山、香山)、5園(円明園、頤和園、静明園、暢春園、静宣園)の内、第一といわれたが、1860年の第二次アヘン戦争で、英仏軍から徹底的な破壊と略奪と放火を受け廃墟となっている。この時に大量の書画骨董、宝石、黄金とともに、乾隆帝編纂の「四庫全書」(中国最大の漢籍叢書36000冊=10億文字)も失われたという。

羯南たちはきっと欧州列強、とりわけロシアの脅威を改めて再確認したであろうと想像される。

しぶさわ

下写真(上)
昆明湖にある清晏舫(石船)

下写真(中)
昆明湖畔から万寿山を望む。

下写真(下)
円明園内の西洋楼遺址区
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by kuga-katsunan | 2014-07-30 20:50 | 紀行 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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