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<羯南と古島一雄>(76) 私立大学評判記(その65)

 「私立大学評判記(二十二)慶応義塾と高等商業学校(下)(三井に於ける両校の混戦)」の最後となる。
 古島一雄は次のように続ける。

 「斯る偶然の出来事に依て慶応義塾と高等商業学校は一堂の中に戦ひたりしも是れ一部局の争のみ、若し更らに眼を放てば実業界の各方面は皆な此二校出身者の戦場ならざるはなし」

 ここから明治30年代半ば、既に実業界では両校出身者が中心となって活躍していたことがわかる。この両校の社会的評価は以下のようであった。

 「人は言ふ三田派は団結の心に富み、一橋派は一致の力を欠くと。一橋出身の之を弁ずるものは曰く、是れ実に官学の弊処なり。矢野氏力めたりと雖も官立は到底官立たるを免れず。官学に遊ぶものは株式会社に在るが如く、私塾に学ぶものは合名会社に在るが如し、同じく一の会社なり。而かも気風の差を見るが如しと」

 すでに両校の学風が異なることも知られていた。慶応出身者は卒業後も母校への愛着が強く、OBの関係が濃密であり、団結心があると見られていた。一方、高商出身者は慶応に比べれば団結心が薄く、これは官立学校一般の傾向であったという。

 「人は又言ふ高商の出身者は平素の訓練あり。故に直に実践に用ゆるに足り、慶応義塾の出身者は実践に馴れざるを以て、出営の後尚ほ多少の訓練を要すと。慶応義塾の出身者為に弁じて曰く、我れは兵卒を作らずして将士を作る。故に直に珠算を把て戦う能はざるも、他日謀を帷幄の中に巡らして勝を千里の外に決するものは彼れに在らずして我にあらんと」

 商高のカリキュラムは簿記等の実務科目が多く現場の即戦力となったが、慶応のカリキュラムは経済学や法律科目が中心であり、実務科目はほとんどなかったので、卒業後に実務の訓練が必要となったのである。

 
 しかし、それについては、慶応は現場の実務者を養成するところではなく、経営戦略をたてられる管理者や経営者を養成するところであると古島は弁護する。ここには両校の教育内容の違いが社会的評価に明確に出てくる。

 そして、古島は「知らず商界覇を称するも遂に孰(いず)れに在る乎」と、つまり今後は両校のどちらが実業界を席巻するかわからないと述べた。その見かたは正しかった。

 既述したように商高でも、学生の実務教育に反対する闘争があり、カリキュラムに経済学や法律科目を充実させて行った。その後も、両校ともに優秀な人材を輩出し続け、現在に至っていることは周知の事実である。
 

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2014-07-26 11:05 | その他 | Comments(0)
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