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<羯南と古島一雄>(75) 私立大学評判記(その64)

 「私立大学評判記(二十二)慶応義塾と高等商業学校(下)(三井に於ける両校の混戦)」が続く。
 古島一雄は、中上川彦次郎と益田孝の派閥抗争を具体的にまず以下のように語る。

 「中上川氏は銀行を自家の本営となし、波多野氏を挙げて之が副将たらしめ、更に朝吹氏を護らしめ、高橋氏を挙げて呉服店を監せしむ」

 波多野氏とは波多野承五郎のことであり、三井銀行の理事であった。また、朝吹氏とは朝吹英二であり、三井財閥の鐘ヶ淵紡績や王子製紙の役員を歴任した。高橋氏は、三井銀行に入社後、三井呉服店(三越)に移り経営改革を断行した高橋義雄のことである。いずれも慶応義塾卒で、福沢諭吉の愛弟子である。

 次に古島は三井銀行には次のような慶応義塾卒の人材がいたとして紹介している。それは、大阪支店長平賀敏、横浜支店長矢田績、神戸支店長小野友太郎、広島支店長柳荘太郎、長崎支店長丹幸馬、三池支店長高山長幸、深川支店長、岩本述太郎である。
 さらに、三井呉服店に日比翁助、本店秘書係長に安富衆輔、本店出納係長に坪井仙次郎がいた。

 一方、益田の率いる三井物産については、高等商業学校卒業の以下の面々がいたとする。竜動支店長小室三吉、香港支店長犬塚信太郎、大阪支店長福井菊三郎、新嘉坡支店大野市太郎、横浜支店北村七郎、口ノ津支店河村貞二郎、京城支店小田切捨次郎、芝罘支店長平野寛一郎。

 また、本店石炭課長に河村良平、参事に藤瀬政次郎、福井邦太郎、東京支店に田村実、中山兵馬、大庭敏太郎、大井寛治、さらに芝浦製作所に太田黒重五郎、同族会に成瀬隆蔵がいる。

 そうして、以下のように語っている。

 「此の如く両軍の英士猛将綺羅星の如く各々其陣地を扼して砲列を敷きたりしが故に、中上川対益田の争は一転して慶応義塾対高等商業の争いとなり、三井なる大会社は今や此二校競争の犠牲に供せられんとするの奇観を呈したり」

 しかしこの派閥抗争が三井財閥にとって、決してマイナスにはならなかった。古島は次のように述べる。

 「然れども此競争は陰険なる卑劣の競争にあらずして、実力の競争となり、革新の競争となりしかば、大改新を要せし三井其物に取っては千載の好機たりしやも亦た知る可らず」

 中上川・益田抗争は正々堂々の、イノベーションの競走であり、三井財閥の発展期にあって大いにプラスに働いたのであった。

 
 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2014-06-28 11:14 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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