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羯南の遼東半島足跡を辿る(旅順③)

旅順①②を踏まえて、研究会一行の踏査実績について簡単にコメントしたい。

1) 東鶏冠山北堡塁
 旅順港旧市街の北から北東約5km付近にある堡塁群(北から北東部へ松樹山、二龍山、一戸、東鶏冠山北)の中で、最強の堡塁と呼ばれたもの。乃木軍の最初の総攻撃は正面突破として、この堡塁群へ向けて行われた。

 この堡塁群は、ロシア・旅順守備隊最強といわれたコンドラチェンコ少将によって指揮されていたが、コ少将は12月15日、28cm榴弾砲の直撃弾を受け死去した。堡塁内に慰霊碑がある。

 堡塁内には、固焼き煉瓦をベトン(コンクリート)で塗り固めた頑強な兵舎跡が残り、小さな野砲等では全く歯が立たない理由がよくわかった。第11師団(善通寺)が占領したとの碑があった。

2) 一戸堡塁
 津軽出身の一戸兵衛少将(第6旅団長、当時少将でのちに大将)が、第2回総攻撃時に奪取した堡塁である。地図上では、東鶏冠山北堡塁の北西側のやや下った場所に位置するが、今回の踏査では現況を確認できなかった。

 満州戦跡保存会編『明治三十七八年 戦跡記念写真帖』(1920年発行)には一戸堡塁記念碑の写真があり、「『一戸堡塁』/明治三十七年八月以来第九師団及後備歩兵第四旅団ノ一部隊之ヲ攻撃シ同年十月三十日一戸旅団長躬(みずか)ラ戦ヲ督シ占領ス/陸軍大将 一戸兵衛書」との記述がある。

 元々はP堡塁と呼ばれていたが、一戸少将が奪取したことから、明治天皇の勅命で一戸堡塁と命名されたという。一戸少将は、8月の第1回総攻撃の時に、既に旅順の町を一望できる望台砲台近く迄達していたが、撤退命令を受け、やむなく引き返したという。
 

 佐野正時著『北の鷹-学習院長一戸兵衛大将の生涯』によれば、司馬遼太郎は魅力的な人物だと惚れ込み、太宰治は故郷の偉大な先輩と敬愛し、泉鏡花は「軍人は嫌いだがあの人は別だ」と、それぞれ一戸大将について、人格者として高く評価している。

3) 望台砲台
 東鶏冠山北堡塁の東側にあり(標高185m)、旅順市内や主な堡塁・砲台を一望できる。ロシア軍が降伏した1905年1月1日に第9師団(金沢)と第11師団によって占領された。

 現在でも2門のロシア軍の砲が置かれている。望台から旅順港自体は、白玉山の陰となって必ずしも十分に見渡すことはできなかった。

4) 水師営
 1905年1月5日乃木将軍とステッセル将軍が会見した場所である。尋常小学唱歌-第5学年用-『水師営の会見』で有名。

5) 高崎山(164高地)
 1904年8月15日に第1師団高崎連隊が占領したことからこの名前が付いた。高崎山の麓付近で車を降りたが、203高地の北3km旅順港は相当距離(直線距離で10km弱)がある。203高地は望めるがかなりの距離があった。

6) 203高地
 203高地は、1904年12月5日に乃木軍が占領した。旅順港を東南の方向に臨めた(直線距離で5~6km程度)。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第11回放映(2011年12月11日)で観た、203高地から望んだ旅順港よりは、実際は近く感じた。

 正に港内は「まるみえ」であった。高地に散乱していた砲弾などを集め弾丸型の記念碑(10.3m)を建立し、爾霊山と記して戦死者を弔った。乃木将軍の次男・保典もこの山の山腹で亡くなっている。

7) 白玉山
 ここからは、旅順港および旅順口、市街地を一望できる。眼下に見下ろす旅順口は、100m足らずしかなく、陸上砲台を考慮外とすれば、閉塞作戦が可能と思わせるものであった。

 第二次閉塞作戦で落命した広瀬中佐に心で手を合わせた。なお、ここには東郷平八郎と乃木希典が日本兵の慰霊のために建てさせた66.8mの塔がある(1909年完成)。

8) その他
 その他としては、大谷コレクションがある旅順博物館、旅順の駅舎、大連と旅順を結ぶ予定の都市高速鉄道(旅順南線)の建設中の状況等を視察した。

  しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2013-10-07 20:00 | 紀行 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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