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<羯南と古島一雄>(64) 私立大学評判記(その53)

 今回は「私立大学評判記(十九)」、「慶応義塾大学部(四)」に入る。
 まず古島一雄は、次のように述べる。

 「慶応義塾が其特色を棄ててまでも雄を神田と争はんとする法律部が果たして如何なる成功を見るや否や。殊に其起さんとする文学部が果たして前年の覆轍を踏まざるや否や」

 慶応の特色である英米系学問をドイツ系に変えてまで法律部を前面に出し、神田にある私立法律学校群と争うことに意味があるのだろうか。また一度は失敗した文学部の再興に見込みがあるのだろうかと、古島は問うのである。
 そして、以下に続く。

 「従来世人が重きを慶応義塾に置きし者は其法律部にあらず其文学部にあらずして其理財科こそ実に彼れ義塾の生命として待たれたるにあらずや」

 彼は、そもそも慶応の中心は、理財科(現在の経済学部)であり、“慶応の生命”とまで述べている。

 「義塾出身の先輩者が方今実業界の要地を占むるの事実あればなり。従って世の慶応義塾を言ふものは一種の実業学校として之を見るもの多く実は其法律部あり文学部あるを知らざるなり」

 すでに当時、慶応の卒業生は実業界で要職について活躍する人材が多かった。世間では慶応を実業学校と見ており、法律部や文学部はまったく知らないから学生が集まらないのではないかと、古島は予想している。

 ちなみに当時、活躍中の人物として、次の人々があげられている。
 波多野承五郎、朝吹英二、高橋義雄(以上、三井財閥)、豊川良平、荘田平五郎(以上、三菱財閥)、本山彦一(藤田組)、高島小金治(大倉組)、牛場卓蔵(山陽鉄道)、井上角五郎(炭鉱鉄道)、阿部泰三(明治生命)、原田虎太郎(安田銀行)、山本達雄、伊藤欽亮(以上、日本銀行)
 
 そして最後に、以下のようにまとめている。

 「吾人は慶応義塾が実業界に於いて人材を供給せし偉功を認むると共に其理財科を見る特に注意を要するものあるを認む」

 古島は、慶応においては、学部を増加して学風がゆらぐより、理財科のみで行くべきだと主張したいようである。
 しかし、後世の結果から見れば、法律部も文学部も多くの学生を集め、優秀な卒業生を送り出しだすことになる。“総合大学化”は成功したのであった。

 いしがみ
by kuga-katsunan | 2013-03-24 12:51 | その他
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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