人気ブログランキング | 話題のタグを見る
カテゴリ
全体
研究
紀行
ニュース
トピックス
その他
未分類
以前の記事
2022年 07月
2018年 11月
2018年 03月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 06月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 08月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
フォロー中のブログ


伊東重のこと

 羯南は多くの友人に恵まれた。
これも矢張り、羯南の磁場としての人間的魅力のゆえであろう
故郷弘前での一番の親友は医師でもある伊東重だろう。

 青森のいけださんのアドバイスで改めて、伊東重と羯南の資料を読み直した。
若き日々から晩年の亡くなる直前まで、羯南が伊東重に宛てた手紙が全集に収録されている。
ともすれば、失われてしまう個人の書簡がこれだけ見事に残っていること自体が、伊東の羯南への友情の深さだと思われる。
 伊東重は東大医学部でも将来を嘱望されたが故郷の両親への孝心篤く帰郷して開業、弘前の人々の為に医師てしての腕を振るった。

 いけださんと弘前の伊東家を訪れた日は、きしくも観測史上はじめてと言われるほどの豪雪の日だった。
新青森に着いたものの、奥羽線は全線ストップ、いけださんに手配して頂いたタクシーで二人で弘前に向かった。
 途中、大釈迦の辺りは猛烈な地吹雪でほとんど前が見えず。先行する車のテールランプを頼りの運転が暫く続いた。
 漸く弘前にたどり着いて、真っ先に伊東医院を訪ねた

 伊東重のひ孫にあたる当代の伊東先生をはじめ皆さんに、大変暖かくおもてなし頂き、伊東重について種々お教え頂いた。
 興味深かったのは、司馬遼太郎が隣にある、幕末にここを訪ねた吉田松陰を記念して保存されている松陰室を訪ねた時のエピソード。
 司馬さんは、感興極まり結局一晩松陰室の二階に泊まったという。

 幕末、ここを訪ねた松陰は、一夜、伊東梅軒と歓談し、漢詩を残している。

      男児欲略北夷陲

      難奈吾無百万師

      猶忻半日高堂話

      幸為此行添一奇

 当時、松陰は22歳、東北の旅を伴にした熊本藩士宮部鼎蔵は32歳、そして迎えた弘前の伊東梅軒は38歳だった。

 司馬さんが、松陰を主人公にした「世に棲む日々」では、しごくあっさりと、その旅程を紹介しているのにとどまっている。

  「松陰の東北旅行は、正月二十日に水戸を発したあと、会津、新潟、渡海して佐渡、さらに新潟にもどり、秋田、弘前、青森にいたり、そのあたりで冬はすでにすぎ、盛岡、仙台、米沢から関東に入り、日光、足利、館林をへて利根川の堤に出、堤上をあるくうちたまたま小舟をみつけ、たまたまその船頭が江戸へゆくというので乗せてもらった。
 両岸の田園はもはや菜の花のさかりである」
(司馬遼太郎「世に棲む日々」1969年)


 この小説、連載中、家で週刊朝日をとっていたので、読んだ覚えがある。
 本当は、この足取りを辿って、書きたかったのではないかと思われるが、大流行作家にそれは許されなかったのだろう。

 後に、街道をゆくの取材で、弘前を訪れ、「北のまほろば」を書いた時には、この松陰の漢詩からとって、「半日高堂ノ話」という章を書いている。

 司馬さんは、百数十年の時を超えて、若き松陰の息吹を聞いたであろうか。

たかぎ
by kuga-katsunan | 2013-03-03 07:45 | 紀行
<< <羯南と古島一雄>(64) 私... <羯南と古島一雄>(63) 私... >>




明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
by kuga-katsunan
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
メモ帳
執筆陣
 たかぎ(主筆)
 やまだ
 しぶさわ
 はらだ
 ささはら
 つかもと(管理人)
 てらだ
 くめた
 こなか
 すずき
 いぬい
おかぽん(おかもと)
 こんどう
 きしだ
 はまぐち
 かめたに
 ひろかわ
 あまの(顧問)
 やまもと(〃)
ライフログ
検索
タグ
(101)
(28)
(27)
(13)
(13)
(12)
(12)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(8)
(8)
(8)
(8)
(7)
(7)
(7)
(7)
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧