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伊東重のこと

 羯南は多くの友人に恵まれた。
これも矢張り、羯南の磁場としての人間的魅力のゆえであろう
故郷弘前での一番の親友は医師でもある伊東重だろう。

 青森のいけださんのアドバイスで改めて、伊東重と羯南の資料を読み直した。
若き日々から晩年の亡くなる直前まで、羯南が伊東重に宛てた手紙が全集に収録されている。
ともすれば、失われてしまう個人の書簡がこれだけ見事に残っていること自体が、伊東の羯南への友情の深さだと思われる。
 伊東重は東大医学部でも将来を嘱望されたが故郷の両親への孝心篤く帰郷して開業、弘前の人々の為に医師てしての腕を振るった。

 いけださんと弘前の伊東家を訪れた日は、きしくも観測史上はじめてと言われるほどの豪雪の日だった。
新青森に着いたものの、奥羽線は全線ストップ、いけださんに手配して頂いたタクシーで二人で弘前に向かった。
 途中、大釈迦の辺りは猛烈な地吹雪でほとんど前が見えず。先行する車のテールランプを頼りの運転が暫く続いた。
 漸く弘前にたどり着いて、真っ先に伊東医院を訪ねた

 伊東重のひ孫にあたる当代の伊東先生をはじめ皆さんに、大変暖かくおもてなし頂き、伊東重について種々お教え頂いた。
 興味深かったのは、司馬遼太郎が隣にある、幕末にここを訪ねた吉田松陰を記念して保存されている松陰室を訪ねた時のエピソード。
 司馬さんは、感興極まり結局一晩松陰室の二階に泊まったという。

 幕末、ここを訪ねた松陰は、一夜、伊東梅軒と歓談し、漢詩を残している。

      男児欲略北夷陲

      難奈吾無百万師

      猶忻半日高堂話

      幸為此行添一奇

 当時、松陰は22歳、東北の旅を伴にした熊本藩士宮部鼎蔵は32歳、そして迎えた弘前の伊東梅軒は38歳だった。

 司馬さんが、松陰を主人公にした「世に棲む日々」では、しごくあっさりと、その旅程を紹介しているのにとどまっている。

  「松陰の東北旅行は、正月二十日に水戸を発したあと、会津、新潟、渡海して佐渡、さらに新潟にもどり、秋田、弘前、青森にいたり、そのあたりで冬はすでにすぎ、盛岡、仙台、米沢から関東に入り、日光、足利、館林をへて利根川の堤に出、堤上をあるくうちたまたま小舟をみつけ、たまたまその船頭が江戸へゆくというので乗せてもらった。
 両岸の田園はもはや菜の花のさかりである」
(司馬遼太郎「世に棲む日々」1969年)


 この小説、連載中、家で週刊朝日をとっていたので、読んだ覚えがある。
 本当は、この足取りを辿って、書きたかったのではないかと思われるが、大流行作家にそれは許されなかったのだろう。

 後に、街道をゆくの取材で、弘前を訪れ、「北のまほろば」を書いた時には、この松陰の漢詩からとって、「半日高堂ノ話」という章を書いている。

 司馬さんは、百数十年の時を超えて、若き松陰の息吹を聞いたであろうか。

たかぎ
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by kuga-katsunan | 2013-03-03 07:45 | 紀行 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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