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<羯南と古島一雄>(52) 私立大学評判記(その41)

 現在の慶応義塾大学は、私立大学の雄として君臨し、学生数、約34,000名(2011年5月)を誇る。しかし安政5年(1858年)の創立から40年間はたびたび経営危機に見舞われたのであった。

 今回から「(十五)慶応義塾の沿革(下)」に入る。そこには文久3年(1863年)から明治36年(1903年)までの入学者数と在学者数が掲載されている。
 まず、各年の入学者数については下記のとおりである。

 文久3年(1863年) 10人  元治元年(1864年) 36人 
 慶応元年(1865年) 58人 慶応2年(1866年) 77人 
 慶応3年(1867年) 84人  明治元年(1868年)103人
 明治2年(1869年) 256人 明治3年(1870年)326人 
 明治4年(1871年)377人  明治5年(1872年) 317人 
 明治6年(1873年)240人  明治7年(1874年)254人

 明治8年(1875年)273人  明治9年(1876年)189人
 明治10年(1877年)105人 明治11年(1878年)130人
 明治12年(1879年)186人 明治13年(1880年)204人
 明治14年(1881年)344人 明治15年(1882年)396人
 明治16年(1883年)331人 明治17年(1884年)223人
 明治18年(1885年)271人 明治19年(1886年)435人

 明治20年(1887年)514人 明治21年(1888年)571人
 明治22年(1889年)653人 明治23年(1890年)675人
 明治24年(1891年)505人 明治25年(1892年)380人
 明治26年(1893年)310人 明治27年(1894年)236人
 明治28年(1895年)543人 明治29年(1896年)399人
 明治30年(1897年)547人 明治31年(1898年)436人

 明治32年(1899年)351人 明治33年(1900年)420人
 明治34年(1901年)436人 明治35年(1902年)743人 
 明治36年(1903年)4月まで409人 
 合計13,353人

 一覧からわかるように明治6、10、17、27年と4度の学生数の急減を経験しているが、最大の経営危機を招いたのが明治10年であった。福沢諭吉は一時、廃校まで決意したという。その原因は西南戦争により武士階級出身が疲弊し、その進学者が大幅に減少したことによるものであった。

 困窮した福沢は文部大臣宛てに「私塾維持の為、資本拝借之願」という政府への借金の依頼書を提出したが、それは受け入れられなかった。結局、「慶応義塾維持法案」という寄付金募集の基準を定め、同志や卒業生約130名から寄付金を募って、ようやく危機を脱することができた。

 しかし復興の最大の要因は、なにより幸運なことに当時、学生層が士族出身から平民へ拡大していたことにある。明治5年の学制頒布以来、平民の就学率が次第に増し、ちょうど明治13年ごろには急上昇に転じていた。また、士族も学歴を得ることで立身出世の道を目指すようになっていた。まさに時代の潮流に救われたのであった。
 
 さて、現在の新聞には私学を取り上げここまで詳細な分析を行うことはない。時に大学シリーズとして特集を組むことはあるが、表面をなぞるだけにすぎない。本質を追究する気迫が欠けているように思えてならない。

いしがみ
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by kuga-katsunan | 2012-03-27 14:57 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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