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<羯南と古島一雄>(47) 私立大学評判記(その36)

 今回も「(十三)慶応義塾の沿革(上)」が続く。
 明治維新の風雲が収まってくると慶応義塾への入学者がさらに拡大していった。

 「明治三年には三百余人の入学者を見るに及び新銭座の地所建物は到底其生徒を収容する能はざるに至れり」

 そこで、福沢諭吉は明治4年(1871年)に、三田にあった島原藩邸を購入し、新たに校舎を建てた。ここで古島一雄は、その時の経緯を門弟の土居が残しているとして、その文章を掲載している。少し長くなるが、当時のその状況がよくわかるので、以下そのまま引用しよう。

 「元来彼の地面は島原藩の屋敷であった。それを維新騒動の時分に大名が国に引払った為に空屋敷になって居ったのを岩倉公が話をして東京府に取上げ、そうして東京府からして市中の拝借地を拝借人又は縁故ある者に払下げるということになって、島原藩に於ては彼の地面を再び払下げを請はんと欲する有様であった」

 「先生之を聞いて逸早くも東京府に出掛け、右の府命が発表される前に金子を上納して自分の方に払下げられた。是は今日に於て非常なる価値を有するのみならず、東京中に於ても屈指の眺望の好い、空気の良い地所であるが為に、慶応義塾の生徒は何れだけの利益を受けて居るか知れない。然るに先生が之を払下げたということを聞いて、島原藩の方で色々掛合って来たが先生一向に取合はずして遂に其土地を分捕った」

 福沢は激動する時代の中で、優良な土地を、強引に手に入れた。この“地所買収事件”について、古島は以下のように評している。

 「吾人は今ま更ら地所買収事件の是非を論ずるものにあらず。只だ今の慶応義塾なるものが実学者の先見と文明流の権利思想に依て獲得されたる偉大な形見たるを記すを以て満足せざる可らず」

 古島は新しい時代の中で近代西洋思想を身につけ、権力をものともしない一民間人にすぎない福沢の態度と心意気に共鳴したのであった。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2011-10-22 11:13 | その他 | Comments(0)
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