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<羯南と古島一雄>(37) 私立大学評判記(その26)

 今回から明治36年11月20日の木曜日に掲載された「(十)学位と特権」に入る。これまでと同様に初回から第一面に掲載され、しかも11月9日の「(七)官立大学の今昔」以来、一番最初にもってこられている。
 
 最初に古島一雄は、「私立大学の発達に伴ひて起るべき問題は、学位問題と特権問題なり」と述べる。そして、文部省に対し、私立大学にも学位を与える権限を認め、帝国大学が持っている官吏登用の特権を取り上げろ、と主張する。

 彼は、まず学位問題から始める。博士号が、どれほどの価値があるのか、陸海軍の金鵄勲章と同様ではないかという。すなわち、金鵄勲章は、当初、陸軍省が日清戦争で武功抜群のものだけに対して与えようとしたが、その選定に困難を極め、結局、「平城・旅順の激戦乃至は営口、紅瓦寒等の激戦に臨みたる将士は、其官等に応じて之れを与ふる」とした。海軍も、陸軍との勢力均衡のため、それにならい「黄海の激戦に臨みたる中尉以上の将士」に、大量に与えることになった。

 彼は、このように金鵄勲章は、多くの人に与えすぎて価値が低いものとなってしまったが、博士号の学位も同じではないか、という。文部省は、博士号をもったいぶって最初、各分科大学へ5人に限り与えることにしたが、これは見栄の張りすぎであり、むしろ「学生の虚栄心を長ぜしめたる罪悪」であるとまで論じる。

 結局、早稲田大学博士があってもいい。慶応、明治、法学院(現・中央大)、法政、日本、それぞれの私大の博士があるべきだ、と主張する。

 そして、以下のようにまとめる。

 「世は到底実力の競争なり、此の如くして其の尊きものは益々尊きを加ふべく、其尊かざるものは益々尊かざるに至り、優勝劣敗の天則は、茲に初めて真個の博士を見るを得んなり。其れ文部省が取るべき最良の方針にならずや。」

 現在では、信じられないことであるが、明治30年代では、私大にはまだ学位を与える権利がなかったのである。当時、帝大と私大の学生の学力は拮抗していた。ごくごくまだ一部のエリート層の争いであり(明治38年の帝国大学と専門学校の卒業者数は、合計3,334名。『文部省年報』)、古島は、帝大と私大の学生の機会を均等とし、実力の競争にゆだねよと主張するのである。

 実に、古島ならではの歯切れ良さを感じさせてくれる。

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2010-12-30 11:46 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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