「(九)私立大学と年限」の後半である。
古島一雄は文部省批判をさらに続ける。
「殊に笑ふべきは、官学にあらざれば学者を出す能はすと思へる文部省的僻見なり」
上記の根拠として、古島は次のような事例をあげる。早稲田大学で教える浮田和民(政治学)や慶応義塾大学の門野幾之進(教頭)は、帝国大学を出ていないので学士号や博士号を持っていない。また、帝大教授の箕作佳吉(動物学)は慶応出身であり、同教授の元良勇次郎(心理学)と中島力三(哲学)は同志社出身である。
日本の太陽暦を作成した水原準三郎(数学)や小石川植物園の牧野富太郎(植物学)は、帝大卒ではないが判任官という下級官吏である。
そして、古島は以上を見れば「学年の短かい故に大学たる資格なく、官学にあらずんば学者を出さず、と云へる文部省的僻見を打破するには十分なりと信す」と述べ、以下のように結論づける。
「向来文運の発達と共に、二年の大学も起らん、五年の大学も起らん、或は三年、或は六年、其興るものは其興るに任せよ」
この古島の見解には、現代も耳を傾けるべきところがあるのではないだろうか。現在は法律で大学は4年と定められている。確かに大学によっては、飛び級やあらかじめ年限超過を認めているところもあるが、3年制の大学があってもいいし、社会人のための3年制の大学院があってもいいのではないか。
いしがみ