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<羯南と古島一雄>(35) 私立大学評判記(その24)

 「(九)私立大学と年限」に入る。 
 古島一雄の文部省批判はさらに続く。

 「世間知らずの役人が、此の至重の大問題(※高等学校と大学の接続問題)を、机上の空論の依って解決せんと欲するが如きは、余りに其大胆なるに驚かざるを得ず。」(※筆者注)

 当時、帝国大学へ進学する経路としては、高等学校の予科を卒業して入学することが一般的であった。しかし、高等学校予科へ入るには激しい入学試験を突破する必要があり、中学卒業(16歳ぐらい)後に浪人し受験勉強に2~3年を費やすことが多かった。そうなると結局、大学卒業が、30歳近くになってしまうケースも少なからずあった。

 一方、私立大学へ入るには、私立大学が設置する予科を経て進学することになっていた。しかし、この予科は、実質、官立諸学校(医学専門学校等)の予備校ともなっていたのでる(もちろんそのまま私立大学へ進学する生徒もいたが、官立諸学校への進学者の方が多かった)。

 以上のように中学・高校・大学という接続について、制度上の想定卒業年齢(尋常中学校17歳、高等中学校20歳、帝国大学23~24歳)を上回り、大学卒業までに時間がかかりすぎるという問題があった。

 そして、古島は以下のように修業年限の問題を取り上げる。

 「修業年限長きに過ぐと云うもの、何を以て長しと云う乎。修業年限短しと云うもの、何を標準として短しと云う乎。其標準の確立ぜざる以上は、長きも亦た可なり、短きも亦た可なるにあらずや。」

 その時代、大学や予科の修業年限は統一されていなかった。例えば、東京帝国大学の法科は4年、京都帝国大学のそれは、3年であった。一方、私立大学は、3年である。

 また、予科については、慶応義塾大学は2年、早稲田大学、明治大学、東京法学院大学(現・中央大学)、日本大学、法政大学は1年半であった。一方、帝国大学の予科としての存在である高等学校予科は、3年であった。

 予科は、大学の教養課程と考えてよく、特に語学が重要であった(当時の大学は西洋の学術文化の導入を重視し、特に英語が重要であった)。なぜ私立大学と帝国大学に年数の違いがあるのか。私立大学側の説明は、高等学校予科は、外国語の修得で2ヶ国語が必要であるが、それからすれば私立大学は、1ヶ国語(英語)だけでいいので、私立大学予科の修業年数は高等学校予科の半分の1年半になるということであった。

 ここで、古島は私学を大いに弁護する。

 「学期長きが故に尊からず、学年短きを以て廃すべからず。」

 しかも、私立大学は、帝国大学に比べ、修業年限が短いにもかかわらず優秀な人材を輩出しているという。

 「文官試験の成績に徴すれば、曾て予科もなかりし三年の私立専門学校生が、却って六年間の大学生を圧したりし実例を有するにあらずや。」

 すなわち、文官試験では、予科を経ず、3年制の専門学校を卒業して、合格するものもいる。帝国大学では、予科を経るため、早くて6年(京都帝国大学の場合)かかるのであり、私学は、帝国大学を圧倒しているのというのである。  

 いしがみ
by kuga-katsunan | 2010-10-22 10:08 | その他
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