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<羯南と古島一雄>(29) 鷲尾義直について

 高木主筆が購入された古本(鷲尾義直著『古島一雄清談』)は、偶然にも鷲尾義直本人から野田琢二に贈呈されたものであった。その本の中には、古島の新聞の死亡記事の切り抜きや古島が野田宛に出したハガキ、はたまた鷲尾と野田両人が古島の自宅前に並んで写っている生写真までが入っていた。(詳細は本ブログの2010年3月参照。)

 今回は、鷲尾の評伝『温軒鷲尾義直の面影』(昭和31年(1956年)発行、非売品)が入手できたので、彼について紹介したい。

 鷲尾の主な活動は、師と仰いだ犬養毅を20年以上にわたって文筆により支えたことにあった。具体的には、大正2年(1913年)に犬養を会長として興った大日本青年協会の機関誌『青年』の記者に始まり、すぐに主宰となり、そして大正13年(1924年)に後継誌である『木堂雑誌』を主宰として刊行、青年木堂会を創立した。

 昭和6年(1931年)には犬養内閣発足とともに、内閣嘱託として総理秘書となった。犬養が五・一五事件で凶弾に倒れた後、昭和13~14年(1938~39年)には、『犬養木堂伝』全三巻を著した。いわば生涯を犬養の政治思想の広報担当として活躍したのであった。
 したがって、犬養の親友であった古島とも親しかった。

 鷲尾は、明治20年(1887年)に秋田県能代市に生まれた。父は神職兼小学校教師であり、内藤湖南と親交があった。彼も最初の職業は教員であったがまもなく辞め、その後、秋田魁新聞、世界雑誌等の記者として活動した。

 また、大正14年(1925年)に県外在住者の友好を図る目的で『秋田県人雑誌』を創刊、その後は、夫人のよし子が『秋田』と改名して引き継いだ。

 著作は50以上あるというが、代表作は『犬養木堂伝』である。もちろん古島に関するものも多く、評伝を得意とした。

 身体は、長身痩躯で幼いころから病弱だったようだ。しかし、無欲恬淡、温厚で飄々とした風貌により、犬養から温軒という雅号を送られた。

 しかし、酒をこよなく愛し、最期は、アル中が原因で亡くなった(昭和30年(1955年)没)。犬養と知り合う前の記者時代に苦労を重ねてきたが、犬養の雑誌の主宰となっても経営に苦慮し、金銭的には恵まれなかった。また、先妻に病で先立たれ、後妻のよし子との夫婦仲も良くなく、周囲が心配していたようだった。

 彼の死後、有志によって評伝が残され、石碑も建てられたように、人間として多くの人々に親しまれた人であった。

 いしがみ
by kuga-katsunan | 2010-04-29 10:17 | その他
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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