井上劍花坊のことについて何回か触れた。もう一人、今日の川柳の基礎を築き、劍花坊と並んで、「川柳中興の祖」よばれた阪井久良伎(さかいくらき)について、曾孫さんのHPおよび川柳学会第2回研究会資料(2005.9.19)・竹内豊氏「久良伎資料の解釈と保存」から引用してご紹介したい。
久良伎は、本名「坂井辨(わかち)」(1869~1945)といい、1869年生まれ。1884年、藤堂男爵家において五世川柳編「絵本柳多留」を読んで川柳を志向する。
1897年、「日本新聞」入社、正岡子規と歌論で衝突したが、却って親交を深め、子規の感化を受け川柳の本格的な研究を決心。
1903年、「川柳梗概」を発行し、川柳中興の第一声となり、翌1904年、我が国初の川柳会「川柳久良岐社」創設、1905年「五月鯉」発行。
1925年ラジオで本邦初の川柳講義を放送し、1929年久良岐を久良伎に改め、1945年逝去、
とある。
「川柳=狂句」「川柳=猥雑なもの」という当時の社会風潮に異を唱え、川柳の本道を世に広めるべく尽力した、という。
しぶさわ