昭和32年10月に発行された<安藤正純遺稿>を入手した。
安藤は日本の記者として活躍した人物の一人。
国会図書館の憲政資料室にその文書が保管されている。
「旧蔵者 安藤正純 (あんどうまさずみ)
旧蔵者生没年 1876-1955
旧蔵者履歴 1876.9.25東京生まれ。1895.7哲学館卒、1899.7東京専門学校卒。1894.12『明教新誌』記者。1899~1900.4同主筆。『桜新聞』客員、『政教新聞』『日之出新聞』主筆も勤める。
1901.12日本新聞社入社。1906.7大阪朝日新聞社入社。
1919.7衆議院議員(第14~21、25~27回総選挙当選)、1924.12政友会入党、1925.大阪朝日新聞社退社、1926.5宗教制度調査会委員、1927.5田中義一内閣文部参与官、1931.12犬養内閣文部政務次官、1936.5立憲政友会幹事長、1945.11日本自由党結成に参画、1946.2日本宗教連盟理事長、1947.2~50.7公職追放、1950.7自由党筆頭顧問、政務調査会長。1952.10~55.10衆議院議員、1953.5第5次吉田内閣国務大臣、1954.11日本民主党結党に参加、1954.12~55.3第1次鳩山内閣文部大臣。1955.10.14死去。」
(国会図書館 憲政資料室HPより)
新聞日本の社員には珍しい東京人。
しかも浅草の真龍寺の僧侶の子供である。
学校を卒業してから、あちこちの新聞を経験し、明治34年に新聞日本に入社する。
遺稿の中には、<日本新聞と朝日新聞>という回想が収録されている。
たかぎ