今朝の読売新聞の日曜版2面に<異才列伝>というコーナーがあり、そこに羯南の紹介が出ている。
筆者の永井一顕さんは、文章からすると弘前高校の出身のようで、高校生当時の小田桐校長先生のエピソードが紹介されている。
小田桐校長先生のことは、稲葉克夫先生の著書<陸羯南の津軽>のあとがきにも書かれている。
「指折ると昭和19年、県立弘前中学校一年生の私に羯南の存在を教えたのは、戦時疎開で文芸春秋社から郷里の弘前に帰って来た担任の小田桐孫一先生だった。
秋十月先生は出征し、シベリア抑留生活が長かった。
帰国してダモイの渾名で有名だった。
第二十二代弘前高校校長をつとめた。」
(稲葉克夫 「陸羯南の津軽」白神書院 2007年8月)
非常に魅力のある先生だったことが、ひしひしと感じられる。
私の叔父も招集で弘前の連隊にいたことがあるので、その風土については聞いている。
じょっぱりの精神が生きていると思う。
たかぎ