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弘前新聞と東海健蔵

 新年の東奥日報に<北の文学連峰 本県文筆家の系譜>のシリーズの中で、斎藤三千政弘前ペンクラブ会長が<陸羯南と佐藤紅緑>という連載をされている。

 佐藤紅緑に入る前に、没後100年の時の東奥日報の平成十九(二〇〇七)年一月一日、陸羯南の「生誕百五十年・没後百年」を記念した特集記事を紹介されている。

  「偉大な足跡 いまも心に」

のヘッドライン以下の記事を賞賛されていらっしゃるが、私も初めてこの紙面を拝見した時には、非常に感銘が深かった。

 羯南の伝統が今も生きている、ということにまず驚き、改めて地元への影響の強さに感じ入った。

 弘前にあって羯南ゆかりの人々のシリーズをはじめ、多くの著作を残された川村欽吾氏のことは何回か紹介させて頂いたが、先日メルボルンに駐在している旧友が一時帰国した際に、改めて同氏の<赤石定蔵と陸羯南>を再読した。

 ご存じの通り、赤石は弘前の東海家に生まれ、母方の赤石家を継いだ。
彼には兄健蔵、弟勇蔵がいる。

 定蔵は、明治17年東奥義塾を卒業し上京、東京専門学校(早稲田大学)に入学、19年20歳の時に東京で開催された津軽同郷人会で羯南と出会う。

 この縁で、定蔵は羯南の東京電報に入社することになるが、弟の勇蔵は羯南の長女と結婚することになる。

気になったのは、弘前に残った兄の健蔵のことである。

 健蔵は、インド藍の輸入で急速に財をなし、東海商店を拡大する。

その後、彼は明治30年には弘前新聞を創刊する。これも実は羯南の影響があったのではなかろうか。

弘前市議会議員、議長を歴任した健蔵は、昭和19年に82歳で亡くなった。

 太平洋戦争開戦の直前、彼の創刊した弘前新聞は、戦時報道統制によって、八戸合同、青森日報、東北タイムスの県内日刊紙とともに、東奥日報へと統合。

 定蔵が社長を勤めた台湾日日新聞も日本の植民地支配の終焉とともに終刊となった。

 勇蔵は海軍技術将校としてイギリスに留学、横須賀で軍艦の建造にあたったが、極楽寺の羯南終焉の別荘から通っていたという。

 明治、大正、昭和と、この三兄弟は、弘前、東京、オーストラリア、台湾、イギリスと生き抜き、ある意味、大日本帝国とその運命を伴にした。

たかぎ

 
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by kuga-katsunan | 2010-01-17 20:06 | トピックス | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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