今回から新たに明治36年(1903)年11月7日発行の「(五)私学と官学」に入る。
古島一雄は、冒頭で次のように述べている。
「吾人は前回に於て、略ぼ私立大学勃興の内情を叙したりと信ず。即ち私立大学の成りたるは、文部省の専門学校令之が動機たりと雖も、其実は、学生充実の必要に迫まられたりと曰はんより、寧ろ学校其物の生存競争に依りたる事の甚だ大なる理由たるを発見せずんばあらず。」
すなわち、私立大学の設立の本音が、学生側のためではなく、学校側の経営のためにあったことをズバリ指摘している。
そして、次にその状況を具体的に説明するものとして、以下のように法政大学の趣意書そのもの(今回は、冒頭のみを紹介)を提示する。
「熟々思ふに、今日最高等の専門学術を教ふるは、東西二京の帝国大学とす。然れども我版図の大と人口の衆とを以て、僅に二大学にて足れりとぜざることは世既に定論あり。且つや官学は整備を期するの余り、画一に失するの弊なきに非ず、故に程度に於ては帝国大学に優るあるも劣ることなき私学にして、而も別に特色を具ふるものの必要あるべきを信じ、本校は徐ろに之が計画を為さんことを期せり。」
法政大学の東京と京都の両帝国大学に対する心意気が感じられる記述である。古島は、この趣意書自体をどこからか入手し、そこに記載されている内容をそのまま紹介している。当記事で彼は、「人触れれば人を斬り、馬触れれば馬を斬る」必殺の筆剣で恐れらたように、実に切れ味鋭い論説を展開していくのである。
それにしてもこの趣意書は、当時の私学の置かれている状況の実態をよく伝えてくれている。次回でさらに詳しくこの趣意書を見て行くことにしよう。
いしがみ